じかん げんしゅは ちこくする ひとに めいわくが かかるので やめて ください

 「教えて!goo」に、こうこうせいだという かたからの こんな しつもんが ありました。


学校で遅刻をすると誰にどう迷惑が掛かるのでしょうか。

僕は公立高校に通っているのですが、遅刻をするたびに
「人に迷惑が掛かっているのがわからないんですか!」と先生におこられます。
授業が始まったらもう教室には入らず次の授業から参加するようにしています。
このままだと、将来自分が困るのはわかりますが、
正直誰に迷惑が掛かっているのかわかりません。
教えてください。


 えーーーーっ? いみの わからない ことを いう ひとですねえ。もちろん この しつもんを した かたでは なく、たかが じゅぎょうに ちこくを しただけで 「ひとに めいわくが かかっている」と おこる せんせいがです。
 しつもんしゃは せんせいから 「わからないんですか!」って おこられたんだって! いったい だれに めいわくが かかってると いうの? わたしも わかりません>< わたしにも おしえて ください!
 そう おもって かいとうを よんで みたのですが、どれも これも りかいに くるしむ かいとう ばかりです。
 たとえば、こういうの。

まあ、あなた一人がいないぐらいは
実害はさほどないと思います。
でも学校というところは建前上
集団生活を覚えるところとなっています。
古くは軍隊が基本なんですよ。
ですから秩序が大切です。
あなたの遅刻を見逃すと
他の生徒も「ぢゃあ俺も・・」
次々と遅刻しだすと思います。
そうなると遅刻だらけ
空席だらけの授業となります。
「そんなの個人の自由ぢゃん。受けたくない授業
無理に受けなくてもいいぢゃん」
とできるのは大学からです。
高校までは憲法でも教育の自治は制限
されています。ある程度の秩序に基づいて
運営していかなくてはならないのです。
そのルールを既に破ってる貴殿は
そういう秩序を破壊しようとしているのです。
そういう意味で
授業の秩序を壊したくない教師の迷惑
秩序が壊れかけたクラスで授業を受けなくてはならない他の生徒に迷惑
がかかっているのです。
くれぐれも参考まで


 この かいとうは――あとで また ふれますが――ある いみで もんだいの かくしんを ついた するどい してきが ふくまれた ものだと おもいます。
 しかし、おどろいたのは けんぽうでは こうこうせいの じちを せいげんして いるのだという くだり。ふべんきょうなので しりませんでした。「けんぽう」って たぶん 「にほんこく けんぽう」の ことですよね*1。この ひとは 「古くは軍隊が基本なんですよ」と おっしゃるのですが、そもそも 「にほんこく けんぽう」では ぐんたいを もつ ことを たしか きんしして いませんでしたっけ? わたしの しらない うちに あたらしい けんぽうが できたのでしょうか?
 ほかの かいとうしゃでも 「憲法でさえ認められている自由は、貴方の頭の中では何を考えてもいいという自由のみです」と かいて いる ひとが いたりして*2、「ギャー けんぽう こわい」って おもいました。
 ただ、うえの かいとうしゃの 「秩序を破壊しようと」する ことが 「授業の秩序を壊したくない教師の迷惑」であるとの いいぶんは、ひとつの すじの とおった かんがえかただとは おもいます。もっとも、これとは はんたいに、《いま ここに ある ちつじょを いじしようと する ことは、その ちつじょを こわしたい ひとへの めいわくである》という ことも いえると おもいます。その いみで、ちこくの ゆるされない ちつじょを つくりあげて いる ひとり ひとりが、ちこくする ひとに めいわくを かけて いると いえるのでは ないでしょうか?
 さて、かいとうしゃの なかで ひとりだけ 《だれにも めいわくは かかって いない。ただ、ルールなのだ》という いみの ことを かいて いる ひとが いますが、この ひとを のぞく かいとうしゃは みんな 《めいわくだ》と かいて おります。しかし、その めいわくの ないようというのが たとえば つぎの ような ことですから、まったく なっとくできません。

  1. じゅぎょうが ちゅうだんされるのが ほかの せいとや きょうしに めいわく。
  2. くるはずの じかんに こない ことで きょうしに しんぱいを かけるので めいわく。
  3. きょうしに しゅっせきぼに ちこくの しるしを つける てまを とらせるのが めいわく。


 1.については、「わざわざ ちゅうだんしなきゃ いいじゃん」と いえますし、そもそも しつもんしゃは 「授業が始まったらもう教室には入らず次の授業から参加するようにしています」と かいて いますので、この りゆうで めいわくに なる ことは ない はずです。
 また、2.についても おなじように 「しんぱいしなきゃ いいじゃん」と いえますね。きょうしは、ちこくが 「めずらしい」「ふつうでは ない こと」だと かんがえ、ちこくしない ことを せいとたちに むりじいして いるから、せいとが ちこくすると 「しんぱい」に なるのです。ここは ひとつ おもいきって はっそうを てんかんし、ちこくを せいとの あたりまえの けんりとして みとめましょう。せいとたちも ちこくしたい とき、あるいは ちこくせざるを えない ときは、いいわけなんか ひつよう ありません。せーせーどーどーと ちこくしましょう。ちこくが ふつうで あたりまえの ことに なれば、きょうしつに こない せいとが すうにん、あるいは すうじゅうにん いたからと いって しんぱいに なる ことは ないと おもいます。というか、せいとの しんぱいを する ことが きょうしの しごとの やりがいに なってたり、という ことは ないの?*3 しらないけどさ。
 3.も かんたんに かいけつできますね。しゅっせきの かくにんなんて やめちまえば すむ ことです。


 それにしても ふしぎなのは、この しつもんしゃの ケースでは、どう かんがえても ちこくが めいわくに なるとは おもえないのに、かいとうしゃの みなさんは なぜ それを 「めいわくだ」と いいはらずには いられないのか、という てんです。
 たしかに、しごとなんかだと 《くる はずの ひとが じかんどおりに きてくれないと よていされていた しごとを すすめられないので こまる》といった ことは あるでしょう。でも、この しつもんしゃの ケースは あきらかに そうでは ありません。
 では、どうして かいとうしゃの ひとたちは かなり ムリの ある りくつを こねまわしてまで ちこくが 「めいわくだ」と いわずには いられないのでしょうか?
 それは――わたしの おくそくですけど――「きめられた じかんどおりに とうこう(登校)・しゅっしゃ(出社)する」という ルールが アホらしく くだらない どーでも いいものだと いう ことを、かいとうしゃの ひとたち じしんが ただしく にんしきして いるからだと おもわれます。じゅうような まちあわせなどが あるなら ともかく、げつようびに 10ぷん はやく しゅっしゃしたなら、かようびは しゅっしゃ じかんを 10ぷん おくらせれば いいじゃん。たいがい それで ふつごうなど ないのだろうし*4、「まいにち 9じ まえ までに しゅっしゃして タイム・カードを おさなければ ならない」なんて ルールは、ろうどうしゃの けんりを ふとうに しんがいする ものに ほかなりません。


搾取された時間を取り戻したい - planet カラダン

以前、私が勤めていた会社では、9時始業なら8:59までにタイムカード打刻しないと遅刻だった。こんなの当たり前のことでどこでもそうなのかもしれない。9時0分台に打刻してるってことは数秒遅刻してるわけだから。しかし、会社のために差し出す時間が秒単位で厳しく管理されるなら、神聖にして不可侵であるはずの私有時間=プライベートタイムもそれくらいの厳しい眼差しで尊重されるべきだ。もし仮に、8:59:59に打刻できたとしても、1秒が不当に奪われてる!!!
ひどい会社になると、タイムカードの機械云々ははじめから論外で、始業時間には席に着いてないといけないとかなんとか条件を付けて平気な顔をしている。10分なり15分前に出社して準備をしておけというわけだ。だからその10分15分を不当に差し出させて平気な顔してるのは何なんだよ! この泥棒!
また逆に、終業が17時だったとする。その場合、神聖なるプライベートタイムは17:00:00きっかりから開始されなくてはならないはず。とすれば仕事なんて15分なり30分前に切り上げて、私有時間に向けて準備をさせてもらってもいいんじゃないの。「バイトの女の子*4が定時の1分前からタイムカード持って待ってるから、『ヒマなら仕事してよ!』って言って数分サビ残させてやったよ。うへへ。」みたいな感覚の雇用主は即刻牢屋にぶち込んで良い。現行犯逮捕。


 そういう わけです。なお、この Romanceさんの きじは ほんとに すばらしい ぶんしょうですので、ぜひ りんくさきで ぜんぶん およみ ください。


 さて、あきらかに ふごうりで くだらないという ことが わかりきった ルールを まもるという ことは、けんりょくに くっぷくするという ことです。けんりょくに くっぷくするという ことは、おそらく おおくの ひとに とって みじめな ものでしょう。そうした みじめさを かんじずに いきて ゆきたい ものですね。そして、けんりょくと たたかわずに みじめさから のがれるためには、じぶんが けんりょくに くっぷくして いるという じじつ、ふごうりな ルールに したがって いるという じじつを わすれなければ なりません。つまり、じっさいは ふごうりな ルールに したがって いるにも かかわらず、その ルールが 「ごうりてきな りゆうが ある」ものだと おもいこめば よいわけです。
 ところが、ここにおいて、じっさいは ごうりてきで ない ルールを 「ごうりてきな ルール」と おもいこんで いるのですから、その ルールの ごうりてきな せつめいを もとめられても この ひとは ごうりてきに こたえられる はずが ありません。ふごうりが あたかも 「ごうりてき」であるかのように つうようするのは、その ごうりてきな りゆうを とう ひとが だれも いないかぎりに おいてです。ふごうりは とわれない かぎり 「ごうりてき」で ありつづける。
 しかし、だれか ひとりが 「どうして?」「なぜ?」「なんのために?」という しつもんを はっした しゅんかん、「ごうりせい」の みかけは はがれ はじめ、その「ふごうり」あるいは 「ふじょうり」が あらわに なります。だから、ふごうりな 「ごうりせい」を ほしゅしたいと のぞむ ひとたちは、りゆうを とう しつもんしゃが あらわれると、よってたかって その しつもんしゃを けむたがり、いじめ、その くちを ふうじようと するでしょう。
 さきに いんようした かいとうの いちぶを ふたたび いんようします。

ですから秩序が大切です。
あなたの遅刻を見逃すと
他の生徒も「ぢゃあ俺も・・」
次々と遅刻しだすと思います。
そうなると遅刻だらけ
空席だらけの授業となります。


 おそらく、この してきは まとを いてると おもいます。
 くだらない ルールは たくさん そんざいして います。そういった ルールは 「みんなが まもるはずだ(=ぬけがけする やつは いない はずだ)」という たがいの しんらい(そうご かんし?)に よって、かろうじて ささえられて いる ものです。その てんで そのような ルールに よって たもたれた 「ちつじょ」は じつは あんがい もろい ものなのかも しれません。
 だれかが 「そんな ものは くだらない」と いい、そんな ルールや ぎむなど そんざいしないかのように ふるまえば、その まわりの ひとも その ルールや かせられた ぎむに ちゅうじつで ある ことを ばかばかしく おもい はじめるかも しれない。そして、ばかばかしいと おもう ひとの にんずうが ある いっていの しきいちを こえた とたん、ふるい ちつじょは がらがらと くずれ はじめ、そこに わたしたちは べつの せかいを みる ことが できるかも しれない。
 そんな ことを ときどき むそうしたり します。とうせいなき ぜねすと。しどうしゃなき ぜねすと。
 もっとも、わたしは 「ごうりせい」を あらそう ことに きょうみなんて ありません。ただ、くだらないと じぶんが おもう ものを 「ごうりてき」と おもいこみ いいつくろうような たいどを にくみます。
 だれも しはいしたくないし、だれからも しはいされたくない。ただ それだけの ぜんていで にんげん どうし たがいに 「ごうい」できる ことは たくさん ある はずなのです。そこに 「ごうりせい」なんて もちだす ひつようは ないようにも おもいます。

*1:「ほくとしんけん」とか そっちの けんぽう?

*2:ジョー・ストラマーせんせいが 「げんろんの じゆうは ほしょうされて いる。じっさいに それを ためして みようなんて かんがえを おこさない かぎりは」みたいな うたを うたって いたのを おもいだしました。

*3:だとしたら、きょうしは せいとに 「しんぱいさせて くれて ありがとう。めいわく かけて くれて ありがとう」って かんしゃしなきゃ ならないんじゃないだろか。

*4:べつに それで けいえいしゃにとって 「ふつごう」が しょうじたと しても、ろうどうしゃの しった こっちゃ ありません。ただ、どうりょうなどに 「ふつごう」が しょうじて しまうような ばあい、こまっちゃいます。