「ちょうせん がっこうの せいとたちは すんだ めを している」?

 せんしゅうの どようびに 「『高校無償化』からの朝鮮学校排除に反対する緊急行動」に いって まいりました。


http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20100327/p1


http://www.mkimpo.com/diary/2010/chosun_hakkyo_10-03-27.html


 よよぎ こうえん(代々木公園)で しゅうかいを おこなった あと、しぶや えき(渋谷駅)に むかって デモを おこないました。
デモには ちょうせんがっこう・ちょうせんだいがくの がくせいさんを はじめとして 800にん くらいが さんかしたらしいです。だいせいきょうでした。




 さて、しゅうかいでは ちょうせん こうこうの せいとさんや その ほごしゃの かたの おはなしを きく ことが できたのですが、わたしは ある きょうしょくいん くみあいの ひとの はつげんの いちぶに つよい いわかんを おぼえました。この ひとは いわゆる フツーの にほんの がっこう(=にほん せいふの しはいかに ある がっこう)の せんせいで、ちょうせん がっこうとの こうりゅう(交流)にも とりくんで おられるとの ことでした。
 で、この せんせいは ちょうせん がっこうの じゅぎょうを けんがくさせて もらったり して いるそうなのですが、わたしが いわかんを おぼえたのは かれが つぎの ような いいかたで せいとたちを 「ほめたたえて」いた ことです。
 いわく、ちょうせん がっこうの きょうしつで じゅぎょうを うけている せいとたちは みな 「めが すんで いる」と。
 まるで しょくみんしゃが げんじゅうみんを ロマンティックに たたえる ときの ひょうげんの ようで、かなり きもちわるいです。
 もちろん、この せんせいは りっぱな とりくみを なさって いると おもいますし、この はつげんが ぜんい(善意)から なされて いる ことを うたがう わけじゃ ありません。また、わたしが この ぶんしょうを かいて いるのは、この せんせい こじんへの ひなんを もくてきに して いるのでも ありません。
 ただ、マジョリティが マイノリティを 「しえん(支援)」しようと する ばあいに しょうじがちな あやうさが、この はつげんに あらわれて いる ように おもいます。
 この 「めが すんで いる」という 「ひょうか」は、「せんせい」と よばれる たちばに ある ひとが いだく ひどく みがってな 「のぞましい せいと」イメージに ほかなりません。「せんせい」に てきい(敵意)や あくい(悪意)を むけず、すなおで コントロールしやすい という ことが、「めが すんで いる」という 「ひょうか」の いみする ところでしょう。「めが すんで いる」ことを さも よい ことで あるかのように かんがえて しまう せんせいにとって、じゅうじゅん(従順)で じぶんに むかって けっして はむかって こない せいとが 「よい せいと」なのでしょう。
 ここに すでに きょうしつで せんせいが せいとに たいして ひび くわえて いる よくあつの いったんが あらわれて いますが、さらに とりあげなければ ならないのは、こうした はつげんが マジョリティである にほんじんによって ちょうせんじんに たいして なされて いる ことの もんだいです。いわば、にほんじんが 「こうあって ほしい」と のぞむ 「ちょうせんじん」イメージが、この 「めが すんで いる」という ことばに あらわに なって いるわけです。けなげで にほんじんに てきいを もたない、あくまでも 「かわいそうな ひがいしゃ」としての 「ちょうせんじん」。
 「かわいそうな ひがいしゃ」に てを さしのべるのは ずいぶんと ここちよい ものです。「じぶんは よい ことを している」「じぶんは よい にんげんだ」という きぶんに ひたれるのですから。ちょうせんじんが 「かわいそうな ひがいしゃ」を えんじる かぎり、こころある にほんじんは よろこんで しえんの てを さしのべるでしょう。
 しかし、この ちょうせんじんが 「すんだ めを した かわいそうな ひがいしゃ」である ことを やめた とき、この にほんじんは ての ひらを かえして じぶんたちを こうげきして くるのでは ないだろうか?
 マイノリティである という ことは、こうした おそれを マジョリティに たいして いだかされる という ことでは ないかと そうぞうします。その いみで マジョリティが マイノリティに たいして 「めが すんで いる」ことを ほめことばとして つかう ことは、どうじに あいてに たいする おどしとしても はたらくのでは ないか?
 「きみたちが わたしたちに てきいを しめさないなら、わたしたちは おしみなく てを さしのべよう。しかし、きみたちが すんだ ひとみを した ひがいしゃを やめるならば その かぎりでは ない」と。




 しゅうかいでは、さきにも のべた とおり、ちょうせん こうこうの せいとさんたちの おはなしを うかがう ことが できました。その なかで わたしの いんしょうに のこったのは、「ちょうせん がっこうは にほんの がっこうと かわらないのだから、ちょうせん がっこうを むしょうか(無償化)の たいしょうから はずさないで ほしい」という いみの はつげんを なんにんかの かたが されてた ことです。また、「ちょうせん がっこうの わたしたちも にほん がっこうの せいとと おなじように じゅぎょうを うけたり スポーツに はげんだり している ふつうの こうこうせいです」という はつげんも あったと きおくして います。
 このように 「じぶんたちは むがいな そんざいだ」という 「べんかい」を ちょうせん こうこうの せいとさんたちに おしつけて いるのが なんなのか、にほんじんは かんがえるべきでしょう。この もんだいは、こんかいの しゅうかい・デモに さんかした ような にほんじんたち――ちょうせん がっこうを 「しえん」したいと おもっている にほんじんたち――にとっても、けっして むえんでは ないと かんがえます。もちろん わたし じしんも ふくめて。だから、さきの 「めが すんで いる」という はつげんを ひはんてきに とりあげたのです。
 そして、そもそも、「にほん がっこうと かわらない」ことを ちょうせん がっこうの せいとたちが アピールせざるを えない という ところに、ひどい ねじれが あります。ちょうせん がっこうを むしょうかの たいしょうに ふくめるか どうかの ぎろんにおいて、にほん がっこうが はんだんの きじゅんに なるなんて ちゃんちゃら おかしいでしょう。
 まず、れきしてきに みて、はいせんごに 「みんしゅしゅぎ こっか」(←ここ わらうとこ)として さいしゅっぱつした にほんの がっこう きょういく せいどが、ちょうせんじんたちの じりつてき(自律的/自立的)な みんぞく きょういくへの だんあつと ワン・セットで あったし、いまも ある という てんを、りかいする ひつようが あります。

 1948年4月24日夜、メノア神戸基地司令官は神戸基地管内に非常事態宣言を発し、これより国警(国家地方警察)兵庫本部および神戸市警察は神戸基地憲兵司令部の指揮下に入り、即座に朝鮮人の一斉検挙作戦を開始した。憲兵司令部および日本警察は、以後4日間に朝鮮人約2000人を逮捕、同時に神戸の東西両端を封鎖、須磨・平野・西宮などの国道沿いに検問所を設置し、神戸市内に入る朝鮮人も一人残らず検挙した。……
 この非常事態宣言発令のそもそもの発端は、日本政府による朝鮮人学校への閉鎖命令にある。
 「解放」を迎えた朝鮮人は、日本各地に朝鮮人児童の国語教育のための講習所を開設、その後これらの多くは朝連[在日朝鮮人連盟]のもとで「朝連初等学院」として統合・整備され、1948年2月の時点でその数は500校を数え、そこには約5万人の朝鮮人児童が就学していた。だが、47年3月の教育基本法・学校教育法の公布・施行を受けて日本政府は朝連経営の朝鮮人学校の統制を強化、48年1月24日には「朝鮮人子弟であっても、学齢に該当する者は、日本人同様、市町村立または私立の小学校または中学校に就学させなければならない」とする文部省学校教育局長通達「朝鮮人学校の取扱について」が発せられることになる。これに従って48年3月18日には山口、同年4月20日には東京、ほかにも兵庫、岡山などで朝鮮人児童の公立・私立学校への転入と、認可によらない朝鮮人学校の閉鎖、また日本の学校から借用していた朝鮮人学校施設の明け渡しを求める学校閉鎖令を発した。
 この学校閉鎖令の背後には占領当局の指示が存在していた。金太基は占領当局が強硬な態度に出た背景として、活動家養成学校である三一政治学院や八一五政治学院での「在日朝鮮人共産主義教育を占領当局が憂慮し、阻止すべきであると考えていたこと」をあげている。SCAP(連合国最高司令官)は1947年11月、第8軍に対して、朝鮮人学校に教育基本法・学校教育法を適用する権限をもっており、また文部省がその方針を明確に提示すべきだと回答した。48年の学校閉鎖令は、こうした「日米合作」のたまものであった。
 これに対して朝連は反対運動を繰り広げるが、当局は閉鎖を強行、4月23日には明け渡しを拒否しつづけていた西神戸、東神戸、灘の3つの朝連初等学院に対し MP(憲兵)と警官隊を動員して学校閉鎖を強行した*1


 こうした せんりょう とうきょく、および にほん せいふによる だんあつに たいする ちょうせんじんたちの たたかいは、「はんしん きょういく とうそう(阪神教育闘争)」と よばれて います。なお、にほんの けいさつは この とき 16さいの ちょうせんじん しょうねんを ピストルで うちころしました。その なきがらを ふみつけて にほん がっこうは いま そんざいして いる。
 また、がっこう きょういくほう(学校教育法)が さだめる 「がっこう」の ちいを あたえられる ためには、もんぶ かがくしょう(文部科学省)の けんえつした きょうかしょを つかい、また きょういく しどうようりょうに したがう ことを おしつけられます。したがって、いまの せいどの もとでは、ちょうせん がっこうは 「がっこう」としての ちいを えようと するなら みんぞく きょういくを すてるしか ないし、みんぞく きょういくを つづけようとすれば 「かくしゅ がっこう(各種学校)」の ちいに あまんじるより ほか ありません*2
 このように いわゆる フツーの にほんの がっこうは、ちょうせんじんを はじめとした みんぞくてき マイノリティの じりつてきな きょういくの きかいを うばい、ぼうりょくてきに 「にほんじん」を つくる ための ものとして あったし、いまも そうなのであって、その そんざい じたいが こんぽんてきに あく(悪)です。
 にほん がっこうを きじゅんにして 「にほん がっこうと おなじだから/おなじでないから」という こんきょで 「むしょうかの たいしょうに ふくめる/ふくめない」を ぎろんする ことは、にほんじんが ちょうせんじんたちの きょういくを だんあつして きた れきしを なぞる ことに ほかならない。にほんじんは ちょうせん がっこうの せいとたちの 「めが すんで いる」ことを ほめたたえる ひまが あったら、にほん がっこうの ありようを みずから ひはんてきに といなおすべきでしょう。
 「こくご きょういく」と しょうして にほんごの よみかきを おしつけ*3、「れきし きょういく」と しょうして にほんじん ちゅうしんの れきしかん(歴史観)を おしつける。そうやって 「にほんじん」への どうか(同化)の あつりょくを にほんに すむ すべての ひとに――かれらが のぞむと のぞまざるとに かかわらず――かけて いる。それが、もんぶ かがくしょうが がっこう きょういくほうに もとづいて 「がっこう」と みとめている、いわゆる フツーの にほんの がっこうです。
 もし、「あるべき がっこう きょういく」という ものが あるとするなら、それは にほん せいふの しはいかに ある にほん がっこうでは なく、むしろ にほんの はいせんごに ちょうせんじんたちが じぶんたちの ことばと ほこりを じぶんたちの こどもたちに つたえようと にほん かくちで はじめた がっこうの こころみの なかに みいだされるべき ものでは ないでしょうか?
 おかみの たてた ほうしんに ひくつに したがい、おかみの けんえつした きょうかしょを つかって じゅぎょうを やる ような、こころざしも くそもない にほん がっこう。そんな ものと 「おなじ」であれと、ちょうせん がっこうに ようきゅうするなど、しょうし せんばん(笑止千万)、じぶんの ケツに ついた うんこ ふいて でなおして こい! と、わたしは おもわなくも ありません。


 この たびの こうこう むしょうか(高校無償化)からの ちょうせん がっこう はいじょの うごきは、こうした れきしてきな ぶんみゃくを ふまえて りかいすべきだと かんがえます。

  1. まず、「にほんじん」いがいの みんぞく きょういくを ふみつけた ところに にほんの がっこう きょういく せいどが うちたてられて いる という こと。
  2. そうして うばいとった きょういくの ための しげんを、おん きせがましく 「あたえる」そぶりを みせながら、
  3. けっかてきに 「あたえない」という せんたくしを えらんで みせる。

 つまり、どろぼうが、ひとの ざいさんを ぬすんで おきながら、ずうずうしくも 「これを おまえに あげる ことも やぶさかでは ない」などと ぬかし、しかも 「やっぱ あげるの やめた」と ひっこめる、と。
 いや、それ あんたが ぬすんだんで あって、さいしょから あんたの ものじゃないですから。
 そして、くりかえしますけど、「フツーの にほんの がっこう」とは、ひとから ぬすんだ ざいさんを もとに きずかれた ものである ばかりでは なく、マイノリティに マジョリティへの どうか(同化)を せまり みんぞく きょういくの けんりを うばいとる そうち(装置) そのものなのです。


 けつろんを てみじかに いいます。
 にほん がっこうは 「にほんじん」への どうか(同化)を せまる ぼうりょくを やめろ。にほんじんが ちょうせん がっこうの ありかたを うんぬんするのは――たとえ 「せいとの めが すんで いる」といった 「ひょうか」であれ*4――よけいな おせわであり、ひゃくねん はやい。




ついき

 imo758 さんが かんじ かなまじり ひょうきの バージョンを つくって くださいました。ありがとうございます!


「朝鮮学校の生徒たちは澄んだ目をしている」漢字変換版 - imo758の日記

*1:鄭栄桓(ちょん・よんふぁん)「1948年4月の『朝鮮戦争』」(『沖縄の占領と日本の復興』2006ねん、青弓社)。きょうちょうは わたくし。

*2:金東鶴さんによる 民族教育の権利を知るための22のキーワードを さんしょうして ください。

*3:こくご きょういくへの ひはんとして いぜん わたしが かいた きじ。→「こくご はいしろん じょせつ」への ほそく

*4:こうした「ひょうか」は、にほんじん ほんにんが ぜんい(善意)で いってる つもりで あっても、その ことばが おどし・どうかつとして はたらきうる という ことは、さきに のべた とおり。