リベラルが ヤスクニてきなるものに くずれおちてゆく とき

 わたしの そふは 「にほん いぞくかい(日本遺族会)」の かいいんでした。
 かれは、へいたい として いった ちゅうごくで どんな けいけんを したのか。また、かれ じしんが なにを したのか。わたしたち まごに かたる ことは ほとんど ありませんでした。
 ただ、かおに てっぽうの たまに よる きずあとが ありましたから、じゅうげきせんを けいけん した ことは たしかでしょう。
 かれは ちゅうごくの ひとに むかって てっぽうを うったのだろうか? かれは ひとを ころしたり ぼうこう したり したのでは ないだろうか?
 そふは そういった ことを かたらなかったのですが、きずを おいながらも いきて かえって きたのは じじつです。
 そして、かれが いきて かえって こなかったなら、わたしが ここに そんざい して いる ことも なかったでしょう。




 そふは ちゅうごくでの じじつを かたらなかった わけですから、とうぜん そこでの けいけんに ついて かれが どう かんがえて きたのか という ことも、その くちから わたしが きく ことは ありませんでした。
 ただ、わたしは その ばしょに いあわせなかったのですが、かれが いくぶんか さけに よった ときに こんな ことを いって いたらしい。「ちゅうごくじんは むしけらだと おもえと いわれた もんだ」と。
 たった ひとこと、それだけを ぽつりと いったそうです。その ひとことの あとに、「しかし……」や 「おれは……」といった ことばを つぐ ことは なかった。
 ぶゆうでんを きかせる つもりだったのか、あるいは 「せんそうは そういう ものだから しかたがなかったのだ」と じこ べんご したかったのか、わかりません。しかし、いずれにしろ、かれが よその くにに せめこんでの ひとごろしと ぼうこうに――ちょくせつに せよ かんせつてきに せよ――てを そめた ことに ついて、じぶんと むきあう ことは なかったのだろうと おもいます。
 そふは なくなる ちょくぜんに けっこうの きんがくの きふを 「にほん いぞくかい」に おくった ようです。わたしも いくらかの おかねを せいぜん ぞうよ(生前贈与)の ような かたちで うけとって います。




 そふは、まごたちに ふかい あいじょうを そそいだし、しんせきや しょくばの どうりょうや どうきょう(同郷)の ひとたちに ずいぶんと しんせつに つくす ひとでは ありました。へいたい じだいの 「せんゆう(戦友)」たちの ことも、たぶん しぬまで わすれる こと なく、こころに いだき つづけたのでしょう。
 しかし、おそらく しんりゃくぐんの いちいんとして ひとごろしと ぼうこうに くわわった じぶん じしんとも、また そういう そんざいと しての 「せんゆう」とも、むきあわなかったのでは ないだろうか。
 そのような かたちで なされる 「せんゆう」の ついとう(追悼)など、やはり ろくでも ないと いわざるを えません。
 その ろくでも なさが この うえなく あらわに なって いるのが、ヤスクニじんじゃに ほかならない ことは、ろんを またないでしょう。ひとごろしを しに いって しんだ 「せんゆう」たち*1を、ひとを ころしに いって いきのこった ものたちが まつり、なぐさめる という しせつ。そこでは いきのこった ものが しんだ 「せんゆう」を 《なぐさめる》 だけでなく、しんだ 「えいれい」に よって いきのこった ものたちが 《なぐさめられる》 という ぎゃくの かんけいも あるでしょう。




 さて、ことしの 8.15には、かくりょうが ヤスクニに さんぱい する ことは なさそうです。
閣僚の靖国参拝ゼロ、一部アジア諸国への配慮か(MSN産経ニュース)


 さんけい・しんぶんは、きじの みだしに ある ように、「いちぶ アジアしょこくへの はいりょか?」と ほうじて いますが、かくりょうの ヤスクニ さんぱいが もんだいなのは、だい1には 「アジアしょこく」が はんぱつ するからでは ないはず。「はいりょ」とか そういう もんだいでは ない。
 かんこく・ちょうせん・ちゅうごく などが はんぱつ する いぜんに、しんりゃくと ひとごろしと ぼうこうを はたらいた じぶんたちに いなおり、なぐさめあう ような イベントに しゅっせきするのは ひととして はずかしくないの、って もんだいでしょ。
 そう おもって きじを よんで みたら、かくりょう たちが 「さんぱいを ひかえるべきだ」とする 《りゆう》が ひどくて、ちょっと びっくり しました。こんな 《りゆう》で さんぱいを ひかえるんだったら、「さんぱい するよりは マシ」とは いえないし、みかたに よっては 「より ひどい」と いえるかも しれません。

 千葉景子(ちば・けいこ)法相(ほうしょう)も「近隣諸国(きんりん しょこく)の感情(かんじょう)を総合(そうごう)すると、首相(しゅしょう)、閣僚(かくりょう)の公式参拝(こうしき さんぱい)は控(ひか)えるべきだ」と指摘(してき)。国民新党(こくみん しんとう)の自見庄三郎(じみ・しょうざぶろう)郵政改革・金融相(ゆうせい かいかく・きんゆうしょう)は「近隣諸国(きんりん しょこく)に考(かんが)えの違(ちが)う国(くに)があり、国(くに)の代表(だいひょう)である閣僚(かくりょう)としては参拝(さんぱい)を避(さ)けるべきだ」と述(の)べた。


 まず、じみ・しょうざぶろう さん という ひとの いいぶんが ひどいです。
 「きんりん しょこくに かんがえの ちがう くにが あり」というのは、ようするに 「じぶん(たち)としては 『さんぱい しても いい』という かんがえだけど、かんがえの ちがう きんりん しょこくが ガタガタ もんく いって きて うるさいから、さんぱいは やめとこうね」と いってる わけです。かれが なにやら 「さんぱい しない こと」の いいわけを してるのは たしかですが、いったい だれに むかって いいわけ してるんでしょうか?




 ちば・けいこ さんも、じみ さん ほど ろこつでは ありませんが、きほんてきに おなじ ことを いって いると りかいして よいと おもいます。
 かのじょは 「きんりん しょこくの かんじょうを そうごうすると……」という 《りゆう》を かたって います。ここでは ちば さん じしんの ヤスクニに たいする かち ひょうか(価値評価)は たなあげに されて います。つまり、かくりょうの ヤスクニ さんぱいが どうして 「ひかえるべき」なのか、じぶん じしんの かちかん・りねんから はんだんし せつめい することは せずに、その せきにんを 「きんりん しょこく」という たしゃの 「かんじょう」(と ちばさんが そうてい する もの)に あずけて しまって いる わけです。




 そして、わたしが ひじょうに きもち わるいと かんじるのは、この ふたりの だいじんの いいわけめいた かたりくちが 《だれに むけられて いるのか?》という ことに かんしてです。
 いっぱんろん として たしゃの かんじょうに はいりょ するのは、マナー として たいせつな ことでしょう。しかし、ふたりの はつげんが むけられて いる あてさきは、かならずしも その いみでの 「たしゃ」(=きんりん しょこく)ではない ように おもわれます。というのも、この ばあい、みずからの かちかん あるいは りねんに てらして 「さんぱいを しない」りゆうを せつめい する いがいに、きんりん しょこくの かんじょうに 「はいりょ」する ことなど ふかのうだからです。そして、ふたりの だいじんは それを して いない わけです。
 したがって、ふたりの はつげんは うちわむけの ものであり、その あてさきは 「わたしたち にほんじん」じしんに むいて います。すなわち、じみ だいじん どうよう、ちば だいじんも、「きんりん しょこくの かんじょう」という ことばを もちだしながらも、「まあ、よその くにの ひとから いろいろ いわれちゃったり するし、やめといた ほうが いいですね」と にほんじん むけに うちわの おしゃべりを やって いるに ひとしい。そこで ほんとうに 「はいりょ」されて いるのは、「たしゃ」では なく、「たしゃ」(きんりん しょこく)の こうぎ(抗議)に はんぱつ するだろう 「みうち」(にほん こくない)の かんじょうでは ないのでしょうか?
 「ヤスクニ さんぱいを ひかえるべきだ」と くちに しながら、なんと ヤスクニに にている ことでしょう。たしゃを けしさり、かがい せきにんを とう ことを たなあげに する ことで、「みうち」として かたまって いこうと する。にほん ナショナリズムの げれつで はじしらずな いちめんを あらたに みせて もらった ように おもいます。

*1:もちろん、むりやり へいたいに とられ、ころすか ころされるかの せんじょうに おくられた かれらもまた 「ひがいしゃ」である めんを もって いるでしょう。したがって、かれらを こっかに こうけんした 「えいれい(英霊)」として まつりあげ、こっか ぼうりょくの いわば きょうはんしゃに したてあげようと する ヤスクニは、かれらの 「ひがいしゃ」としての そくめんに たいしても ぼうとくを はたらいて いると いえるでしょう。