「ふほう たいざい」「ふほう しゅうろう」とは なにか?
(1)にゅうかん しょくいんの おしごと
まえにも この ブログで とりあげたのですが、にゅうこく かんりきょく(にゅうかん)の ロビーにわ、つぎのような ほうむしょう(法務省)の ポスターが はずかしげも なく、どーどーと はって あります。
ルールを まもって こくさいか
2010 ふほう しゅうろう がいこくじん たいさく キャンペーン
がいこくじんの ふほう しゅうろう ぼうしに
ごきょうりょく ください。
げんざい、ふほう たいざいしゃは
やく 11まんにんと すいていされ、
ふほう しゅうろう する がいこくじんの そんざいは、
いろいろな ぶんやに わたり、
さまざまな もんだいを ひきおこして います。
にゅうこく かんりきょくでは、
ふほう しゅうろう ぼうしと
がいこくじん てきせい こようの ための
キャンペーンを じっし して います。
なるほど。ほうむしょう としてわ、「ふほう たいざい」の がいこくじんの 「ふほう しゅうろう」を ふせぎたい、と。
なるほど。「ふほう たいざい」そのものが はんざい である うえに、その たいざい しかくの ない がいこくじんが はたらくのわ、はんざいに はんざいを かさねる 2じゅうの いほう こうい である、と。
ほうりつ いはんわ とりしまらなければ なりません。「ふほう たいざい」「ふほう しゅうろう」の がいこくじんを みつけたら、つかまえて しゅうようじょに ぶちこみ、にほんから おいだす。これが にゅうかん しょくいんの おしごとです。
にゅうかん しょくいんの おしごとわ たいへんです。きょうせい そうかん(強制送還)を いやがって ていこう する 「ふほう たいざい」の がいこくじんも いますから、ちからずくで かれらを ひこうきに のせなければ ならない ことも あります。なにせ、ちからずくで やる わけですから、その とちゅうで まちがって ひとごろしを しちゃう ことも あります。
●Pinkydragon ~ SYI Blog ~ : 特別公務員暴行陵虐致死容疑、入管職員10人を書類送検
しかし、にゅうかん しょくいんも にんげんです。モンスターでわ ありません。やっぱり ひとごろしわ したく ありません。
なので、できる ことなら、「ふほう たいざい」の がいこくじんが じぶんから すすんで にほんから でて いく ように しむけられれば、それが ベストです。
そのために、にゅうかん しょくいんわ、「ふほう たいざい」の がいこくじんを いためつける わけです。ぐたいてきには、つぎの ような てぐちで いためつけ、がいこくじんが じぶんから 「きこく どういしょ(帰国同意書)」に サインするよう しむけます。
- 1ねん 2ねんもの あいだ、しゅうようじょに とじこめる。
- ながい あいだ とじこめられ じゆうが うばわれると、おおくの ひとわ うつびょうや ノイローゼに なります。そうでなくとも、ひとわ いきてれば とうにょうびょうや じんぞう けっせき といった びょうきに かかる ものです。
- そうした びょうきに なったときに、まともな ちりょうを うけさせない。
- がいこくじんが 「なんみん にんてい」の しんせい(申請)の ため、あるいわ びょうきの ちりょうの ために 「かりほうめん きょか(仮放免許可)」を しんせい すると、なんかげつも またせた あげく、きゃっか する。
- かりほうめんが きょか されても、1かげつ(ばあいに よってわ 3かげつ)ごとに にゅうかんまで でむいて 「かりほうめん えんちょう てつづき」を しなければ ならず、えんちょうが みとめられなければ そのばで しゅうよう(収容)されて しまう。そのため、かりほうめんしゃわ 「また しゅうよう されるかも」という ストレスで ねむれなく なったり、うつびょうに なったりも する。
- その えんちょう てつづきで、しょくいんが 「らいげつわ しゅうようするぞ」と おどしを かける ことも ある(1かげつ まえに きまってる わけが ないのに)。
このような ひとを いためつける しごと、また きょうせい そうかん という しごとわ、なかにわ ほうりつ いはんの うたがわれる ケースも ありますが、きほんてきにわ ほうりつに のっとって おこなわれて いるのでしょう。にゅうかん しょくいんも ことあるごとに 「われわれわ にゅうかんほう(入管法)(あるいは 『しょぐう きそく(処遇規則)』)に のっとって やって おります」と せつめい します。さきの ポスターにも ある とおり「ルールを まもって こくさいか」という わけです。
つまり、れいがいわ あるにせよ、おおざっぱに いえば、「にゅうかん しょくいんわ ほうりつに のっとって、ふほう たいざい・ふほう しゅうろうの がいこくじんを とりしまって いる」と いえるでしょう。「にゅうかんわ ほうりつを まもっており、とりしまられる がいこくじんが ほうりつを やぶって いる」と。
(2)「ふほう」じょうたいを つくりだしてるのわ だれか?
しかし、どうなんでしょう? いったい「ふほう たいざい」「ふほう しゅうろう」の 「ふほう」とは なんでしょう?
だれが この 「ふほう」じょうたいを つくり だして いるのでしょうか? 「ふほう たいざい」「ふほう しゅうろう」の がいこくじんでしょうか?
わたしわ ちがうと おもいます。かれら・かのじょらの 「ふほう」じょうたいを つくりだして いるのわ、にほん せいふであり、その にほん せいふを 「みんしゅてきに」 ささえて いる にほん こくみんであると かんがえます。
いぜん、しゅうようじょで めんかいを した 「ふほう たいざい」の がいこくじんわ、おおよそ つぎのような ことを いって いました。
わたしわ 20すうねん にほんに いる。その あいだ ずっと にゅうかんわ わたしを つかまえなかった。しやくしょで がいこくじん とうろく などの てつづきを してるので、わたしに たいざい しかくが ない ことわ、にゅうかんも しって いた はず。
なぜ、にゅうかんわ いままで ずっと わたしを つかまえず、なぜ いまに なって きゅうに つかまえたのか?
なぜでしょう?
けんちく げんばで てっこつを くみたてる しごと、ビルの かいたい げんば、じどうしゃ こうじょうの ライン……。そういった しょくばにわ、20ねん まえも いま げんざいも、たくさんの 「ふほう しゅうろう」の がいこくじんが います。そういった ところを かたっぱしから とりしまれば、にゅうかんの だいきらいな「ふほう しゅうろう」を にほんから なくす ことが できる はずです。「ふほう しゅうろう」の がいこくじんは その かぞくが 「ふほう たいざい」である ことも おおいでしょうから、「ふほう たいざい」も おおはばに へらせる ことでしょう。
しかし、にゅうかんわ そう しません*1。「ふほう しゅうろう」を、あるいわ 「ふほう たいざい」を、ある ときわ とりしまり、ある ときわ みのがして いる わけです。
なぜ、にゅうかんわ このように とりしまったり みのがしたり して いるのでしょうか?
にゅうかんや ほうむしょうに きいた わけじゃないですが、さっするに その りゆうわ「てっていてきに 『ふほう しゅうろう』を とりしまった ばあい、こまる にほんじんが たくさん でてくるから」でしょう。ビルを たてたり、かいたい したり、じどうしゃを くみたてたり、そういった げんばに がいこくじんが かかせないからでしょう。
だったら、なぜ かれら・かのじょらを 「ふほう」の ままに して おくのでしょう? 「たいざい」と「しゅうろう」の けんりを みとめ、「ごうほう」に してしまえば、「ふほう たいざい」も 「ふほう しゅうろう」も なくせるのに。かれら・かのじょらの そんざいが ひつようなら、そうすれば いいのに。
しかし、にゅうかんわ そう しません。かれら・かのじょらを 「ふほう」じょうたいに しておく ことが、にゅうかん にとって つごうが よいからです。だって、「ふほう」じょうたいに ある にんげんわ、とりしまる がわが すきな ときに とりしまったり、あるいわ とりしまらずに みのがしたり、ようするに じゆうに できるのですから。
けいきが よい ときわ あまり とりしまらず、けいきが わるくなって 「ろうどうりょく」が あまったら、どんどん つかまえて とじこめて にほんから おいだす。そのために、いっていすうの にんげんを あらかじめ 「ふほう」じょうたいに した うえで、にほんに おいて おくのが つごうが よい わけです。
つまり、「ふほう」じょうたいを つくりだして いるのわ、「ふほう たいざい」「ふほう しゅうろう」の がいこくじんでわ ありません。それわ、にゅうかんや けいさつであり、にほんせいふであり、それを ささえ(また、ばあいに よってわ それに よって りえきを えて いる) にほん こくみんです。
(3)「かりほうめんしゃ」という そんざい
さて、「かりほうめんしゃ(仮放免者)」という そんざいが あります。
「かりほうめんしゃ」を めぐっても、うえに のべた かんりの やりくちが にゅうかんに よって とられて いるのを みる ことが できます。
「かりほうめん」とわ、たいざい しかくを もたない がいこくじんを 「かりに」、つまり いちじてきに しゅうようじょから でる ことを きょか する という ことです(くわしくわ、きじの さいごの リンクさきを さんこうに して ください)。
にほんの にゅうかんわ、「ふほう たいざい」の がいこくじんを すべて しゅうようじょに とじこめる ことを 「げんそく」として います。とうぜん、こんな「げんそく」が まもられる わけが ありません。11まんにんも いると ほうむしょうが すいてい(推定)してる 「ふほう たいざいしゃ」の すべてを、しゅうよう できる わけなど ないからです。
じゃあ、なぜ こんな「げんそく」を にゅうかんわ もうけて いるのでしょうか? それわ「かりほうめんしゃ」を にゅうかんの すきな ときに しゅうよう できる ように する ためでしょう。
たとえば、にゅうかんわ 「かりほうめんしゃ」の しゅうろう(就労)を きんし します。ところが、じょうしきてきに かんがえて、ほとんどの ひとが しごとを しなければ せいかつ できない ことわ あきらかです。おおくの 「かりほうめんしゃ」が しごとを して いる ことを にゅうかんも しって いる はずです。にゅうかんわ きほんてきに しらんぷりを して いるのです。
これに よって、にゅうかんわ、いつでも すきな ときに 「いはん」を りゆうに して「かりほうめんしゃ」を つかまえ、しゅうようじょに ぶちこむ けんげんを てに して いる わけです。
いわば、「かりほうめんしゃ」たちわ、あるいわ たいざい しかくを もたない すべての がいこくじんたちわ、あらかじめ わなに はめられて いる という ことです。かれら・かのじょらわ、そんざい する こと、せいかつ する こと そのものが、あらかじめ「ふほう」に されて いるのです。
その 「かりほうめんしゃ」たちが こくせきや みんぞくを こえて ちからを あわせ、にほんの にゅうかん せいど、にゅうかん ぎょうせいを かえて ゆこう という うごきが、きょねんから かっぱつに なって おります。
2がつ 25にち(きんようび)にわ、かんとう ちほうの 「かりほうめんしゃの かい(仮放免者の会)」が、とうきょう・しながわで デモを しゅさい します。また、こじん・だんたいによる 「かりほうめんしゃの かい」への さんどう(賛同)を つのって いるそうです。
ぜひ リンクさきを ごらん ください。
●仮放免者の会 2.25デモのおしらせ/団体・個人賛同のおねがい(転載歓迎)
*1:ただし、にゅうかんは これまで たびたび だいきぼな 「がいこくじん がり(外国人狩り)」を おこなって きました。たとえば、にほん けいざいの バブルが ほうかいした あと、1992〜93に「イランじん がり」を おこないました。
→アリさんの日本での体験