ラカン的な大文字の「他者」が存在不可能であるのと同様に、社会は全体性が不可能であることとしてのみ存立可能である*1。 にんずうを かぞえるという こうい(行為)には、その かぞえる ひと じしんを ふあんに させる なにかが あるように おもいます。 「…
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