勇ましい短調・楽しい短調――軍歌・イカロス・ひなまつり


 明日は朝が早いことだし、ささっと寝ようと思って風呂に入っていたのだが、鼻歌をうなりながら考えごとなどしているうちに、ぜひブログを更新しなければならないと思いいたり、こうして書いているわけである。
 深夜の風呂のなかで私は、「かえるの歌」や「チューリップ」といった歌を短調にして歌っては、ひとり「んふふ」などと乾いた笑いをあげていたのである。これは、のちに[ギター講座]で長調短調について書くときに、これを体感するよい材料になりそうだと思った。
 で、長調のメロディを短調にしたり、その逆をしたり試行しているうちに、「あれれ」と思ったのである。USA国歌「星条旗よ永遠なれ」を短調にしてみると、あらまあ、大日本帝国の軍歌っぽくなるではないか。そういえば、日本の軍歌は――といっても、聴く機会は、右翼団体の方々が街宣車でならしていたりとか、花見の季節に九段下あたりでおじいさんたちが歌っていたりするときぐらいしかないのですが――短調の曲が多いような気がする。
 なにか短調のメロディに鼓舞され、「おらおら、勇ましくいこうぜ」みたいな身体感覚って、どうも私にはわからない。ああいうの聴いて戦場に行けるのかなあ、と思うのである。そりゃたとえ行きたくなくても行かされたのだろうけど。ここらへんに、たぶん世代間のギャップがあるような気がする。


 でもって、連想で話がとぶのだが、「♪昔ギリシャイカロスは〜」という歌をご存じだろうか。検索したら「勇気一つをともにして」という曲なんだって。ネットで便利だねえ。歌詞まで手に入ったよ。
 あれも、短調の曲なんだよね。1番はこういう歌詞。

ギリシャイカロスは
蝋で固めた鳥の羽根
両手で持って飛び立った
雲より高くまだ遠く
勇気一つを友にして


 2番でも「勇気一つを友にして」、太陽目指してぐんぐん空高くのぼっていくわけ。こりゃ奇跡だよね。だって、蝋でこしらえた羽根を両手でばたばたやって飛んでるってんだから。
 案の定、3番では落っこちるんです。

赤く燃えたつ太陽に
蝋で固めた鳥の羽根
みるみる溶けて舞い散った
翼うばわれイカロスは
落ちて命を 失った


 ほら落ちた。
 そんでもって、4番では「ぼくら」に向かって教訓を垂れるわけ。それは、もちろん「無謀なことはやめましょう」という教訓ではないのですよ。

だけどぼくらはイカロスの
鉄の勇気を受け継いで
明日へ向かい飛び立った
僕らは強く生きていく
勇気一つを友にして


 この歌は、私、小学校で歌ったの。担任の教師の選曲だったのだけど、養護学校の子たちと交流する会で、私らのクラスのみんなが合唱したのだった。けっこうはっきり覚えているんだけど、まあ、教師が言ってたのは「障害があっても、勇気をもって生きていこう」というメッセージがこの歌にはこめられてるのであるどうのこうの、そういう趣旨で君たちは歌いなさいどうのこうの、ってことだった。
 私は、短調のこの歌を歌いながら、なんか一方では居心地が悪く、一方では滑稽な、妙な気分だった。聴いている養護学校の子たちの顔をちらちらうかがいながら、歌っていたのをおぼえている。彼らの気持ちはうかがい知れなかったけれど。
 もう一方の、なにか滑稽な気分というのは、短調のメロディが増幅するところがあったように思うのである。のちに、友人たちと、イカロスを嘲笑する替え歌など作ってゲラゲラ笑っていた記憶もある。
 その替え歌の歌詞は思い出せないので、かわりに、やはり同じ短調の「ひなまつり」の替え歌をあげておく。こちらは、たぶん有名で、国民に広く歌われ、親しまれてきたのではないかと思う。

明かりをつけたら消えちゃった
お花をあげたら枯れちゃった
五人囃子は死んじゃった
今日は悲しい(楽しい?)お葬式


 大人からしたら、なんてことはない、他愛もない替え歌にすぎないが、これをば全国の学童たちが、嬉々として、きゃっきゃっと笑いながら歌ってきたのである。
 私が、先に世代間の身体感覚の変容とかなんとか言ったのは、替え歌ではなく、オリジナルの「ひなまつり」に短調のああいうメロディをかつてあてた感覚というのが、「う〜ん、よくわからないよなあ」ということなのです。「♪今日は楽しいひなまつり」って短調で歌っても、ぜんぜん楽しくないじゃんかよお、と私なんかは思う。現代の学童たちにしても、そういう感覚があるからこそ、「お葬式」っていう替え歌にせずにはいられないのではないだろうか。
 「われわれ日本人はどこから来て、これからどこへ行こうとしているのだろうか」ってNHK風ナレーションで語ってみたくもなるというものである。「日本人」なんぞ知ったこっちゃないが。