また職務質問くらった


 こうも続くと、嘘臭く聞こえるかもしれない。しかし、誓って言うがネタじゃないよ。作り話じゃないよ。
 俺には、風貌か歩き方か目つきか、なんか知らんけど、怪しくみえる要素があるのかもしれない。それとも、齢30の男が月に2、3回職質くらうのは普通? 標準的? 平均的? そういうものなのか、世の中っていうやつは。


 このひと月あまりのうちに職務質問を受けたのは3回目、というわけで回をおうごとに俺の抵抗の戦術も、ちょっとずつ進歩してきたと思う。結論を先に言うと、今回も妥協せざるをえなかったのだが、前回よりちょっとだけ先に行けた。
 たしかにいちじるしく不快な経験であることには変わりないのだが、正直に申しまして、少しだけ楽しくなってきたのも事実。今度はなんて言ってやろう、なんつって「次回」の戦術を練ったりなんかして。
 そんなわけで、この日記に新たに[職質]というカテゴリをもうけることに決定。次回もあるかもしれないという期待をちょっぴりこめて。タイトル左の[職質]という所をクリックすると、過去の職質体験日記をまとめて読めます。

(1)ゴングが鳴った

 移動中──電車に乗ろうと駅の改札をくぐる寸前──のことであった。背の丈180センチほどの男が2人、目の前に立ちふさがった。
 ひとりは、坊主頭を1ヶ月くらい伸ばしっぱなしにしたような頭のスポーツマン風好青年。20代の半ばか後半くらいか。もうひとりは、峰岸徹にやや似た、目つきの悪い男。40歳前後にみえる。
 2人とも私服であった。が、スポーツマンが身分証明書を取り出す前にピンときた。こいつら刑事だな、と。
 マッチョな男の2人組。あくまでも丁重な言葉遣いをしつつも、しかし有無を言わせぬ強引さで呼び止める。それはキャッチセールスじゃなくて、刑事独特のふるまいだ。


「この近くで犯罪がありましてね、服装やなんかの特徴がダンナさんに似てましたので、すこしお話うかがいたいのですが」
 スポーツマンが身分証明書を示して言った。
 俺は、やっぱり職質か、と心の準備はでき、「『ダンナさん』だってよ。カカカ! どんな刑事ドラマに影響受けたんだよ、タコ! 若いくせに藤田まことのはぐれ刑事か、渋いな」などと考える余裕もあり、
「任意なんでしょ?」と聞き返した。
「はいそうですが……」と答えるタコ。
「じゃあ、急いでるからこれで」と改札をくぐろうとする俺。



(2)敵は立ちふさがる

 だが、そうは問屋が卸さなかった。
 峰岸が俺の進路に割り込み、行く手をはばんだ。
「ちょっとー、これ任意なんでしょ? 別に答えることなんかないですよ、こっちには」
と言ったが、大ダコと峰岸が通せんぼをして、俺を行かせてくれない。暴力的な進路妨害である。
「いや、お名前がわかるものを見せていただくだけで結構ですから」と峰岸。
「身分証明書なんて持ってないですよ。任意なんだったら通してくださいよ」
 俺はそう言ったが、今度は大ダコが暴力的に進路を妨害する。
 大ダコがぬかすには、
「そんなことを言ってたら事件が解決しないじゃないですか」
 ほお、説教ですか。なんで、犯罪を犯したわけでもない、容疑者でもむろんない、善良な──いや、あんまり善良ではないけどよ──市民が、そんな説教くわにゃならんのよ。
 で、言ってやった。
「俺はね、犯罪なんか犯してないよ。だから、俺の話を聞いたって事件は解決しないの。無駄だよ。じゃあ」
 しかし、大ダコは通路をさえぎってバカの一つ覚えをくり返す。
「そんなこと言ってたら事件が解決しないじゃないですか」


 いやはや、こいつは本格的にバカだ。「事件が解決しない」っていうのは、そっちの都合だ。こっちにはこっちの都合があるんだ、タコ。なんの犯罪か知らんが、俺は犯人じゃねえ。そのことが俺には分かっている。だから、俺に話を聞くのは無駄だって親切に教えてやってんだぞ。
 俺には俺の都合がある。俺は急いでる。名前や職業を訊かれるのは不愉快である。あんたらも早く犯人をつかまえなければいけないんだろうが。俺に話を聞くのは、双方にとって時間のロス。だから、俺はお互いにとって最善の選択をしようとしてるんだぜ。
 それともナニか? 俺の判断があてにならないっていうのか? いいだろう。
 じゃあ、反対に聞くが、お前らポリ公の判断だか「刑事の勘」だか知らないが、そっちが正しくて、俺の判断が正しくないっていう根拠はあるのか。お前が俺を一方的に疑うのはよくて、俺がお前たちを信用しない自由は認めないっつうのか? 何様のつもりだよ。刑事様か? キミとボクとは対等ではないの? あなたは私より偉いの? GHQは諸君を民主警察に作りかえたのではなかったの? 助けて、マッカーサーのおじさん。
 以上、口には出さない心の声。



(3)反撃、そしてつかの間の勝利

 で、何度か押し問答をしたが、やつらが暴力的に通り道をふさぐので、埒があかない。しょうがないから、名前を教えることにした。
 しかし、ただ教えるのはしゃくなので、
「まず、そちらの名前を名乗って」と要求した。大ダコと峰岸が身分証明書を出したので、名前をチェックした。それで、俺の方はキャッシュカードを出して名前を教えた。
 ところが、なかば予想はしてはいたが、それで終わらないのね。
 今度は
「どちらからいらしたんですか?」と峰岸。
 まったく、しつこいやつらだ。
「あっち」と言って、駅の入口を指さしてやった。まあ、「あっち」以外にやってくる方向はありえなかったのだが、言ってやった。「あっち」と。
 そうすると今度は
「○○市にお住まいですか」ときた。
「違いますよ」とだけ答えてやった。
 次は「ご職業は?」とくる。イライライライラ。
「ねえ、任意なんでしょ、これ?」ともう1回言って、「それじゃ事件が解決しないじゃないですか」とまた押し戻され、今度は問答の間を少しとってやつらの脇があいているのを見逃さず、すっと改札を抜けた。


 やったぞ、イェーイ。やったぞ、ついに。ヤッホー。出し抜いてやったのだ!
 きゃははは。やつら呆気にとられた顔してやんの。
 俺、切符持ってた。やつら、切符持ってない。
 俺、改札抜けれる。やつら、改札抜けれない。
 俺、気持ちいいー。やつら、困ってる。


 ついに来たんだ、勝利のときが。ホームに向かってスタスタ歩く俺。
 ところがところが。まだ終わらなかったのだ。



(4)俺は逃げたりはしない

 ふと後ろを見ると、峰岸徹が改札の窓口でなにやら駅員と話をしている。どうも、身分証明書を駅員に見せているようだ。
 案の定である。峰岸が駆けてきて、大ダコも駆けてきて、歩いている俺の両脇にぴったりとつく。
「どうして、逃げるんですか?」と峰岸。
 おいおい、だぜ。こいつも大ダコとともにバカ認定。決定。


 ったく、なに言ってるんだか。俺は逃げているのではない。俺は目的地に向かって予定の進路で向かっているだけである。俺は決まった目的地に「向かっている」のであって、お前から「逃げている」のではない。
 なあ、勝手に呼び止めて、勝手についてきているのはアンタだぞ、峰岸徹
 たとえばの話、アンタの前をアンタが進もうとする方向に歩いている通行人は、みんなアンタから「逃げている」ことになるのか? 俺はアンタとは無関係の通行人にすぎないんだぜ。わからんのか。
 まあ、わからんのだろう、と観念して
「別に逃げているわけじゃないですよ」とだけ答えた。
「じゃあ、お話を聞かせてもらっても」とかなんとか言って、峰岸と大ダコはぴったり張りついたまま離れない。



(5)停戦──だが、闘いは終わらない

 もう、わーたよ。しつけえな。ハエかお前らは。
「何があったの?」と歩きながら俺は問い、
「泥棒です」と峰岸は答え、
「どこまでもついて来るつもり?」と俺は聞き、
「お話を聞かせていただけないなら、しかたがないですから」と峰岸。
 しょうがないので、要求に応じて、名前とその漢字表記を教え、生年月日を言い、「これだけあれば、そっちで住所とかも調べられるんでしょ?」と言ったが、「一応住所も」って求めるので、そこまで妥協して住所をしゃべった。2人して同じことを手帳にメモしていた。へえ、こういうのも彼らの組織の内規で決められてんだろうなあ。「ダンナさん」なんて呼びかけるのも、マニュアルどおりだったのかなあ。なんて思った。「服装が犯人に似ている」という口実で呼び止めるのは、マニュアルにあるんだろうな。ひと月前にも同じこと言われたし。こうして、俺は相手の出方を学習していく。こうして、次回(は無いに越したことはないのだが)の戦略を練る。
 刑事に向かって「今度だけは許してやる」((C)泉谷しげる)とは言わなかったけれど。今度はずっとつけさせておいて、どこまでついてくるものか試してやろうかしら。




 今回はけっこう勇ましく応戦したつもりではあったが、のち30分くらい胃が激しく痛んだ。激しく緊張してたんだ。


 間違ってるのは俺の方だろうか。
 俺がこういう行動をとったのは独善的で独りよがりと言うべきなのだろうか。「善良な市民」(を自認する人たち)からすると、俺のこういう文章こそがムカツキをおぼえる対象であるのかもしれない、と思う。(ある観点からすれば)「職務に忠実」な刑事に「迷惑」をかけ、ひいては社会全体の利益にマイナスを及ぼしかねない「わがまま」にしか見えぬのだろうか。あのタコが言ったように、「そんなことを言ってたら事件が解決しないじゃないですか」と考える人は多いのだろうか。
 また、いまどき「警察」なんぞに「権力」を見、それに「抵抗」してみせて粋がってる俺みたいなやつは、自己満足のヒロイズムと欺瞞的自己正当化による正義感に酔いたいだけなのであって、実際、無粋もいいところ、かっこわるくて反知性的、バカの無用なかっこつけと思われるむきもあろう。


 まあ、そのとおりだろうし、そう思われていっこうにかまわないのだが、俺は職務質問されるという状況に強烈な違和感、というか嫌悪感をおぼえる。なにか、他の場面でもしばしば感じるような嫌悪感や世界との折り合いのつかなさが、職務質問によって集約的にまた象徴的に呼び覚まされるような気がする。それについては、おいおい言語化していきたいと思う。可能ならば。


 ここまで読んだ奇特な方には──かりにいたとするなら、ごくろうさま。大ダコ氏と峰岸徹氏には、ご愁傷様。