ケンカ売られた

 胃が痛い。んもー、キリキリする。
 というのも、ついさっき、見知らぬ酔っぱらいにケンカをふっかけられ、酒くさい息をふきかけられ、至近距離で面罵されたからなのであった。こういうストレスは、その場では案外なんともないものだが、あとからボディブローのように効いてくるものである。あひぃー。胃が痛い。




 ワタクシは、ケンカ慣れしているわけでもないし、人並みに小心者なのでございますが、なんですかねえアレは。挑発されると、内心やばいことになったぞと思いつつも、口から出る言葉は、売り言葉に買い言葉とばかりに、思ってもいない強気な言葉が出てきてしまうんであります。
 律儀とでも申しましょうか。「お世話になります」という言葉をかけられて「こちらこそ」と返すがごとく、「テメエ、なめてんのかコラ!」と言われると、ついつい「は? なに言ってんだテメ?」などと平素絶対に口にすることのない文句が出てしまうのは、「気が強い」とか「度胸がある」ということではないと思うのである。それはあいさつと同様、投げかけられた言葉に対する応答の仕方というのがいわば定型表現として決まっているのであり、そのどこかで刷り込まれた定型表現をこちらの意思とは関わりなく自動的に口にしてしまう、ということなのだと思う。
 「おちょくってんのかコラ!」とすごまれて、なお慇懃な態度と言葉づかいで応ずることができるならば、それこそ「度胸がある」と言ってよいであろうし、すごまれてすごみ返すよりもずっと難事なのだろうと思う。ワタクシは、ビビっているくせに、というかビビっているからこそ、ケンカ腰の相手にケンカ腰で向かってしまうのであるな。虚勢というやつであります。


 スーパーのレジに並んでいたわけですよ。食材をカゴに詰め込んで。したらば、後ろに並んだ40がらみの酒くさい男が、雪見大福を2つ手に持って、「オレはこんだけで済むんやから、先に並ばせろや」と、こう言うわけです。そんなムチャクチャなことを、しかも命令口調で。
 で、ワタクシはカーッと頭に血がのぼって、というのは嘘だな、なんとなく、そう、なーんとなく「あ? なに勝手なこと言ってんだオマエ?」と低めの声で言ってにらみ返してしまった。やっべえ。やべえよオイ。「オマエ」なんて言葉が自分の口から出てきたのにもびっくり。自動的に口と体が動いたとしか言いようがない。
 むこうは、「オイ、ケンカすんのかニーチャーン?」と、こうくる。完全に目がすわってるし、ヤバイぞこれは、とワタシはあせり、あとは無視を決め込んだ。顔を合わせないようにして精算をすませて立ち去ったんだけれど、おっさん、おさまりがつかないらしく、レジ前で「ニーチャン、そこで待ってろや」などとわめいている。
 レジ打ちのお姉さんとお兄さんは何ごともないかのごとく、「391円です。スプーンおつけしますか」などと応対している。僕は「警備員を呼んでよー」などと思いながら、その場をあとにしたのでした。まあ、おっさんは追ってこなかった。私は走らなかったから──こういうところでカッコつけたいという気持ちが頭をもたげるのね。悠然とした風で歩きましたよ、はい──おっさんは追いつこうと思えば追いつけただろうし、出口を出たところで私の姿を目にとめたと思うんだけど、反対方向にとぼとぼ歩いて行った。ああよかった。
 ということがさっきあって、まだ胃が痛い。なさけなや。


 それにしても、「先に並ばせろや」とすごまれてとるべき反応は、どんなものだったろうか。無愛想にでも「どうぞ」と先をゆずるのが無難であろうとは思う。もし、相手が酔っぱらいのあんまり強そうでないおっさんではなく、チンピラ風だったり、いかにも頭のネジが外れたようなガキだったりしたら、私はどうしたであろうか。おとなしく先をゆずったかもしれない。しかし、そういうコワイ相手でもやはり「あ?」などとすごみ返してしまうかもしれない。
 というのも、それは自動的な反応だと思われるからだ。笑顔で話しかけられたら笑顔で返すように、メンチ切られたらメンチ切り返すというのは、はからずもとってしまう反応であるような気がする。
 私は、中学の頃から、どうも反射的にそういう態度をとってしまうことが多かった。ヤンキーの同級生相手に「あ?」をやってしまい、ヤバイと思ったときには後の祭り、胸ぐらつかまれて蹴り上げられたこともあった。そんなことがあったせいか、不思議と彼とはその後、仲良くなったのだけれど。くり返すけど、これは度胸があるからではなく、余裕のないときにとってしまう反応だ。
 さてこのたびのように、見知らぬ人にケンカをふっかけられたら、どうしたらよいんでしょうか。「ぱぺぱぴぽー」などと嬌声をあげ、よだれを垂らし、ニターと薄笑いをうかべるなどして敵の虚をつくのが、もっとも安全なのだと思うけどね。そこまでやらないにしても、相手の攻撃性を解除ないし弛緩させるのが、平和的にものごとを解決するための賢いやり方なのだと思うよ。なかなかそんな余裕ねえけどさ。自分のこと棚に上げて言うけど、ねえ、金晋三さんに安倍正日さん。毅然として結果殴られたら、いいことないだわさ。