やはり江川

 秋はサンマが美味だし、梨もいい。柿もおいしいね。涼しくなるにつれビールのうまさがやや減じていくのが、もの哀しい。冬がおとずれる前にたっぷり味わっておかねばならぬ。マツタケは知らん。ジョナ○ンでマツタケ飯を注文したら、よくもまあこんなに薄くスライスしたものだ、と感心するほどケチなのが2切れだけぽつーん。まあ、値段からして贅沢は言えないやね。マツタケなんて要らんから、シイタケとかシメジとかをどっさりのっけてくれた方がありがたかったかも。
 さて、積年の疑問なのだが、なにゆえに高校球児は一塁にヘッドスライディングするの? 野球のド素人の私が言うのもなんでありますが、スライディングというのは減速し、最終的には止まるための手段なのだから、止まる必要のない一塁は走り抜けた方が出塁の確率は高まるはずだと思われるのに、最終回、負けたチームの最後の打者が決まりごとのようにヘッドスライディングするのはなぜなんだろうか。
 ここ数日この疑問がずぅっと頭のなかを占めており、考え抜いた結果、私がたてた仮説は、たえず「オレ一所懸命だぜ」と周囲にアッピールすることを強いられた高校球児にとって、9回ツーアウトのヘッドスライディングはやめたくてもやめられぬサガなのではないかということ。彼らだって合理的ではないのは分かっているのに、やめられない、ということなのではないだろうか。
 高校球児たちは、おそらく少年野球の時分から、チンタラ走っては「コラァ、やる気あんのか! 気ぃ入れて走れ」と怒鳴られ、トンネルをしては「気合いを見せろ」と叱責され、試合に負けたら「気迫が感じられなかった」となじられてきたのではないだろうか。そうやって身についた「オレ一所懸命だぜ」アッピールの癖が、負け試合の最終打席でつい出てしまうのが、あの不可解な一塁へのヘッドスライディングなのではなかろうか。「ボクだって頑張ってんだからね」と。
 私は球児じゃなかったけど、どこで身につけたんだかこういう癖がしみついているのに我ながら苦笑してしまった経験がある。
 10代の頃、はじめてやったアルバイトがビル掃除の仕事だったのだけど、ああ働くってシンドイことなんだなあと実感したのが、「いかに一所懸命、働いているフリをするか」ということだったのだ。私は新入りだったものだから、まああんまり重要でない仕事をまかされるわけである。「やねごん君、キミはそこの階段の絨毯のとこ、ブラシで磨いといてくれたまえ」とか言われるのである。洗剤を吹きつけてゴシゴシやるんだけど、その絨毯はたいして汚れていない。磨いても磨いても、毛足に光沢が出るわけでもなし、色が変わるでもなし。なーんの変化もない。
 意味ねぇじゃん。と思うのだけど、一応仕事しているそぶりは見せなければならない。それもいくらかの金をもらってやる初めての仕事なわけだから、ほぉら、ボク頑張ってますよー、と社長に見せねばならない、という気負いがあるのだ。目を盗んでサボればいいのに、何の義理か一所懸命やってしまうのである。肉体的にそんなにキツイ仕事ではなかったと思うが、帰るときにはもうクッタクタに疲れきっていた。
 思うに、仕事のめんどくささのけっこうなウェイトを占めるのは、この「オレ働いてますからね、しかも一所懸命に」という周囲へのアッピールのための気疲れなんじゃないかと思う。
 現在の私の仕事というのは、ハイテンションを強いられる職種で、みんなおっきな声でハキハキしゃべるわけである。私自身はといえば根はボソボソ小声でまったりしゃべるのが好きな性格なのだが、長いことやってるとうまいこと順応するもので、はい、オレいま頑張ってるからね、というアッピールを意識せずにできるようになってしまっていたりする。身体化されちゃってるのね。
 熱心! 熱意! 気合い! 情熱! 一所懸命! そんなのがオトナの仕事の世界だったなんてなあ。あんまりだとは思いませんか。そういうのは高校野球のガキの世界の話だと思ってたぜ。プロ野球はチンタラやってオッケー、それがオトナの常識。そんなふうに子どもの頃の私は信じていたのに。
 最近もうプロ野球を観る習慣をなくしてしまったので、よく分からない。私の勘違いかもしれないけれど、プロ野球自体がどうも変質してしまったような気がしないでもない。最近のプロ野球はやたらハツラツとしてませんか。昔のプロ野球はもっとチンタラやってませんでしたかねえ。
 たしかに、子どものころ球場で生で観たプレイの質は驚嘆すべきものだった。打球の速さ、打球に対する野手の反応の俊敏さ。しかし、守備についたり打席に立つときの緩慢な動作や、外野手がガムをクチャクチャやってる姿に僕はオトナの野球を見ていたのだ。
 テレビで観戦していて、巨人は嫌いだったけど、とくに心ひかれたのが江川卓投手であった。一所懸命にやっているとはとうてい見えないあの人を喰ったような態度。私の記憶にある江川投手はすでに全盛期を過ぎていて、剛速球投手というイメージではなかったが、スローカーブを決めてニヤニヤ、ホームラン打たれてもニヤニヤ、というふてぶてしい態度*1に、オトナになったらああやってふるまっていいんだな、と思ったものである。はやくオトナになりたいものだ、と。
 そりゃあ、彼だって血のにじむ努力をしたのかもしれないし、現役生活の最後は肩の故障に苦しんだのかもしれない。でも、そんな「陰の努力や苦悩」を讃える根性主義ほど野暮なものはない。だって江川はニヤニヤしていたんだもの。
 「ひとりの無気力が周囲の志気を低下させるッ!!」なんて言いなさんな。「周囲のやる気が無気力なひとりを追いつめるッ!!」だよ。なあ、チンタラやってダメかなあ。いいだろ? ダラダラいこうぜ!


追記)
 江川選手の Wikipedia の記述より。
 こういう逸話(ホントかどうか知らないけど)は好きだなあ。

大学時代、現在の夫人と交際していた時にデートと東京六大学の試合の登板予定が重なると、待ち合わせ時間として「試合開始から何時間後」というように時間を指定していたという。夫人によれば、指定した待ち合わせ時間に遅れることはほとんどなく、逆に試合の進行が早すぎると、わざと遊び球を投げて時間調整をしていたほどであったとのことで、当時の江川の実力が完全に大学レベルを超えていたことを物語っている。


 それより驚いたのはこれ↓。

引退会見では、長年傷めていた右肩の故障が限界に達し、優勝のかかった広島戦を前にして治療を受けていた鍼灸医から、患部である肩胛骨の裏側に針を打てば即効性があり一時的に力は回復するが投手生命を縮めるという、いわゆる「禁断のツボ」にハリを打ったと語り、引退記者会見に出席した多くのスポーツ記者が、涙をにじませて語る江川の姿にもらい泣きした。しかし鍼灸関係者から、鍼灸治療でそのような危険な治療方法があるかのような誤解と不安を与えたとの不満と抗議が起こり、またそのようなツボが肩胛骨の裏にあるという事実も確認できなかったため、治療をした鍼灸医の姓名を明らかにするように、鍼灸医の団体から正式な抗議を受けた。
この件に関しては、江川サイドから文章で謝罪することで一応の決着が計られたが、鍼灸医団体からの抗議自体が大手のマスコミではほとんど報じられなかったため、作家の安部譲二などがその不可解さに疑問を投げかけた。後に江川は、引退記者会見でテンションが高まったあまり、思わず口をついた作り話であることを認めた


 えええええー、作り話だったの? たいしたホラ吹きだなあ。すっかりだまされてたよ。江川最高!

*1:なにせ子ども時代の記憶ですから、歪曲されているかもしれませんが。