Psychology lecture, no fun!*1

 さっきから五十音図(あの「あいうえおかきくけこさし……」というクソッタッレなアレ)のイデオロギーについて、こむずかしいことを書いていたんだけど、考えがまとまりませんわ。今日のところは断念。
 で、いつも愛読している常野雄次郎さんの「ひきこもり心理学よ、笑いと感動をありがとう」という記事を読んだら、もんのすごい新聞記事が紹介されていた。


<引きこもり>最多は30〜34歳 就職・就労きっかけで(毎日新聞) - Yahoo!ニュース


 常野さんが「さて、この調査の結果を参考にしようとしている諸君よ。数字をいくら見つめても無駄だ。『結果』ではなく『調査』自体について考えてみたまえ」とおっしゃるとおり、「調査」そのものがたいへんにグロテスクなのだが、くだんの心理学者がその「結果」から導き出している「分析」とやらも、ひどい。

 高塚教授は、陥る人の特徴を▽自意識が強く状況変化に適応できない▽人と争って傷つくことを嫌う▽人間関係の訓練が不十分で逆境に弱い−−と分析。「国の対策は、引きこもりとニートの分類が不明確で、現状に合った受け皿作りが必要」と話している。


 まず、「特徴」のひとつめの「自意識が強く状況変化に適応できない」という言いぐさについて。毎日の記事の上に引用しなかった箇所では、「職場不適応」なんて言葉も引きこもりの「原因」として出てくるのだけど、なんだよ、「職場不適応」って? まじかよ、おい。なんで、人間が職場に適応しなきゃいけないんだ? 逆に職場が人間に適応するのがスジだろうよ。
 本来、「適応する」の目的語は、「自然」あるいは「所与の動かせない条件」であるはず。だから、「シベリアの人が極寒の気候に適応した暮らしをしている」といった文の意味はわかる。しかし、「私は今晩、ぬるすぎる風呂に適応した」なんて言ったら、そりゃおかしいだろ。湯がぬるすぎたら沸かせばいいんだし、熱すぎたら水をうめればいい。
 同様に「職場に適応する」って言い方はムチャクチャではありませんか。「職場」は人工的なものなんだし、改変不能な自然でもなんでもないのだから。ぬるすぎて風邪をひくような風呂にがまんして浸かっていることに、修行以外のどんな意味がある?
 「特徴」ふたつめの、「人と争って傷つくことを嫌う」というのも、なんですかコレ。「傷つくことを嫌う」ことが「異常」だとでも言いたいのでしょうか。肉を斬らせて骨を断つ、ですか。労働者が「人と争って傷つくこと」にみあうような、たいそうな報酬を得られるとでもいうのでしょうか。
 みっつめの「人間関係の訓練が不十分で逆境に弱い」もグロテスクな文。特別な「人間関係の訓練」を要するような職場のほうが問題ではないのか。
 私の理解では、人間にはいろんなひとがいるし、人間関係は可塑性に富んだものだ。たとえば、弁の立つ人もいれば、反対にうまくしゃべれない人もいる。友達集団のなかに後者のような人がいたって、わたしたちは《十分に》問題なくやっていけるはず。だって、「おまえは人間関係の訓練が不十分だから仲間に入れてやらない」なんてことがあったら、そんなことを言うやつのほうがおかしいだろ。
 「職場はそれとちがう」というのが常識なのだろうか。個人の「人間関係の訓練が不十分」だなんてことはまずなくて、そう見えるのだとしたら人間関係のありようが壊れている、そう考える私のほうがおかしいのだろうか。