ひのまると うんこ

外国人排斥を許さない6・13緊急行動 / 写真★速報


 もう すこし はやく きじを かく つもりだったのですが、のびのびに なってしまいました。とりあえず、さんかされた みなさんに 敬意を ひょうすると ともに、おつかれさまと もうしあげたいです。
 こんかい かきたいのは ひのまるに ついてです。うえの リンクさきの しゃしんにも うつっているとおり、がいこくじん・はいせきに はんたいする デモの さんかしゃの なかに、ひのまるの あかい まるの ぶぶんを うんこの かたちに えがいた ハタを かかげた ひとが いたようです。
 わたしは そのことで ちょっと かんがえこんで しまいました。というのは、ひのまるを うんこに みたてる ひょうげんによって、ひのまるや その ハタに あいちゃくを いだいている ひとたちを ぶじょくしていることが ケシカランと おもったから……では ありません。むしろ、わたしは、あとで のべますように、ひのまるへの あいちゃくを 表明したり、あろうことか ひのまるを ひとまえで へいきで かかげたりすることこそが、はじしらずな 行為だと かんがえています。
 わたしが かんがえこんでしまったのは(さまつな ところに つっこむようで きょうしゅくですが)、「うんこに よって ひのまるを けがすことが できるのだろうか?」という てんに ついてです。うんこを くっつけることで ひのまるが 「よごれる」のだと いたしますと、ろんりてきに かんがえまして 「うんこは ひのまるより きたない」すなわち「ひのまるは うんこより きれいだ」ということに なって しまいます。
 しかし、そんな ばかな はなしが あるでしょうか? ひのまるは けがすまでもなく すでに これいじょうなく よごれていたのでは なかったでしょうか? れきしてきに いって。
 くわしく しっているわけでは ないのですけど、ナチスの シンボル・マークであった ハーケンクロイツは ヨーロッパにおいて、おそらく わざわざ おとしめるまでも ないものなのだと おもわれます。ハーケンクロイツが 「いむべきもの」であるという かんがえが だいたすうの ひとに 共有されて いるのであれば、わざわざ それを 「けがす」 ひつようは ないわけです。ありのままの ハーケンクロイツで じゅうぶん きもいし、じゅうぶん やばい、と みなされるのだと おもわれます。
 ところが ひのまるは そうは かんがえられていないのでは ないでしょうか? わたしは それが ひとつ じゅうような もんだいだという きが します。


穢れてない日の丸なんてないのに(外国人排斥を許さない6・13緊急行動)【追記あり】 - planet カラダン(Romanceさん)

……前述の「日の丸を穢すな」にもつながるんですが、「日の丸に愛着を持っている人たち」「天皇一族に特別の敬意を抱いている人たち」への配慮を必要とする左翼運動なんてハナクソだと思いますよ。ながーい歴史、独特で優秀な単一民族、洗練された礼儀作法、清廉なる道徳意識、笑顔の裏で過酷な公務をこなす天皇陛下、、、みたいな「美しき日本の規律」の象徴として、白布に赤丸を染め抜いたシンプルなデザインの日章旗が持ち出されてるわけですが、そこですでにある「日の丸の穢れ」*9に全く考えを向けずスルーしたうえで美しさにだけ酔ってみせて自慰にふけるのがとんでもなく醜悪だ。という話です。せめて「日の丸をこれ以上穢すな」ならまだマシなのかもしれないですね。在特会日章旗を振ること自体はわかりやすくてとてもいいことだと思います(皮肉)。


 ほんらい、ひのまるは、がいこくじん・はいせきを となえるような ひとたちにこそ ふさわしい ハタだと おもうのですよ。Romanceさんは 「皮肉」と おっしゃってますが、わたしは 皮肉ぬきで 「在特会日章旗を振ること自体はわかりやすくてとてもいいこと」だと おもいます。
 ところが、かれらのような エキセントリックで あからさまに はいがいしゅぎを となえる ひとたちだけでなく、ひのまるは にほんこくみんの おそらく だいたすうに 「じぶんの くにの シンボル」として なんとなく うけいれられてしまっている*1。それが わたしには きしょくわるくて しかたが ありません。


反応 - はにかみ草(ぅききさん)

日本は中国や朝鮮、アジア諸国を侵略するときに日の丸をかかげて侵略しました。
被害者のひとびとはそれを今でも覚えているひとが多いです。だから侵略の象徴なのです。


こんなことぐらい歴史の本を読んだら書いてるので、そういう基本的な質問はやめていただきたい。「君が代丸」という船に乗って(日本の植民地支配による経済的搾取のため)日本に渡らざるをえなかったひとも多い。日の丸君が代は、大多数のアジアのひとびとにとってみれば、殺され傷つけられ、同化させられたシンボルだといえます。


 いちぶには、ぅききさんが ここで「こんなことぐらい……」と かいているような きほんてきな じじつをすら ひていする ひとたちが いますよね(歴史修正主義)。それは それで じゅうような もんだいなのですけど、わたしが ここで とくに もんだいに したいのは、ひのまるが にほんによる しんりゃくや しょくみんち・しはいの シンボルであることを しりつつも、ひのまるを 国旗として なんとなく うけいれてしまっている ひとたちの ことです。
 ひのまるに とくに ひっかかりを かんじず、うけいれている にほんこくみんの おおくは、おそらく、ひのまるが しんりゃく、しょくみんち・しはいの シンボルとして、きずつけられた ひとたちに りかいされていること*2を しらないわけでは ないでしょう。それを しらないわけでは ないにも かかわらず、ひのまるを 国旗として うけいれるということ。なぜ そんな はじしらずなことが かのうなのでしょう? わたしは このことが ひどく グロテスクに おもえますし、にほんの ナショナリズムの ありようを よく あらわしていると おもいます。
 わざわざ ひのまるを うんこにしたりして 「けがすこと」を*3 しなくても、ありのままの ひのまる それじたいが もんだいだということが みえにくく なりつつあるのだとしたら、それこそが もんだいでは ないでしょうか? ハーケンクロイツを かかげる ひとびとが まわりからは 異様に みえるであろうように、はたして 在特会の デモ隊が はためかせていた たくさんの ひのまるは、それ じたいで、フツーの みちゆく つうこうにんたちの めに 「異様なもの」として うつっていたのだろうか?

*1:そんなことない? なければ いいんだけど。

*2:「旗(二)」栗原貞子も 参照すべし。

*3:むしろ 「美化」と いうべき?