ヤスクニの ちかくで さわいで きました

 きのう(8がつ 15にち)、てきの ぐんじしせつである ヤスクニ ジンジャを てーさつに いってきました。
 じんじゃの そとには、がいせんしゃに のった こしきゆかしい うよくから、ざいとくかい(在特会)など、さいきん かっぱつな――「こうどうする ほしゅ」というんですか――そんな れんちゅーまで、いろんな うよくが わらわら いて*1、にぎやかで ありました。
 とりいの まえで おちあった つねのさん(id:toled)と いっしょに、カンビールを のみながら、けいだいを あるきました。けいだいは かえって しずかなものでした。ヤスクニ けんがくしゃの なかには ぐんぷく コスプレの ひとを みるのが おもしろいという ひとも いるようですけど、わたしは みてるだけじゃ たいして おもしろくも ない ばしょだなあと おもいました。
 しゃでん(社殿)の まえには おおぜいの ぜんりょーそうに みえる としよりや わかものが さんぱいの じゅんばんが まわって くるのを しんぼうづよく まって おります。この ぜんりょうそうな ひとらは、ひとごろしという こういを たたえ、ひとごろしや りゃくだつに てを そめて しんだ にんげんを 「えーれー」として まつる ドグサレ しゅうきょう しせつにあって、なにか ごつごうしゅぎで どしがたい センチメンタリズムにでも だらしなく ひたっている まっさいちゅうなのでしょう。
 そんなことを かんがながら カンビール かたてに つったってましたら、ひとりの おじいさんから こえを かけられました。わたしは むねに "ANARCHIST" "FUCK HIERARCHY" "KNOW YOUR ENEMY"と プリントされた かっこいい ティーシャツを きておりました。となりに いる つねのさんは はるかに きあいの はいった ファッションで、ほほには フェイス・ペイントふうに 「反靖国」と かかれた かみを はりつけ、シャツには 「ヤスクニを つぶそう」と くろマジックで かいていて ちょー クールです。
 そんなわけで、おじいさんに おこられるのかなと いっしゅん びびったのですが、ちがいました。デジタル・カメラを てわたされ、「まごと いっしょの しゃしんを とって ください」と たのまれました。むう……。"KNOW YOUR ENEMY"(「きみたちの てきを しれ」という いみ)と ティーシャツに かいてあるのに……。わたしも へたれなので、「あ、いいですよ」と にこやかに おうじて しまいました。むう……。
 しばらく あとにも とりいの まえで ひのまるの はたを もった わかい だんじょの グループから シャッター・ボタンを おしてくれと れいぎ ただしく たのまれ、やはり にこやかに おうじて しまいました。むう……。
 うーん。わたしたちは さよくだというのに、なんの ために ヤスクニまで きたんだろう。このままでは おうちに かえれないでは ないか。
 そういうわけで、さいわい、アキヒト天皇制20年=「戦争国家で安心安全」を問う8・15行動という もよおしが ありましたので、id:Romanceさん、id:hokusyuさんとも ごうりゅうし、デモに さんかして きました。




 なかなか ハードな デモでした。こちらの さんかしゃが なんにんぐらい いたのか わかりませんが、かずに おいては、デモたいを とりかこむ せいふくの けいかんに あっとうされてましたし、カメラを むけたり イヤホンを つけた、こうあん しょくいんと おもわれる ひとの かずも ものすごかったです。にほんに こんなに たくさんの こうあんの しょくいんが いたのかと びっくりするぐらい。
 うよくが うじゃうじゃ あつまってくる 8.15の ヤスクニちかくで、「てんのうせいの せんそうせきにんは きえないぞ」とか 「せいふは せんそう ひがいしゃに しゃざいしろ」とか 「ヤスクニ かいたい」とか 「こっかによる いれい・ついとう しせつは いらないぞ」とか さけぶわけですから、けいさつが しんけいしつに なるのも わかるのですが、まえに つめろとか よこに ひろがるなとか かなり うるさく いって きましたし、そう いうだけでなく ぎゅうぎゅう おしこんでも きました。
 そんな なか、Romanceさんが あでやかに おどりながら けいかんたちを じょうずに かわして デモの たいれつ(隊列)を よこに ひろげようと ふんとうして いる すがたを みて 「きゃー すてき!」と おもったので、わたしも まねして、しゃどうの なかの ほうに ふらふら でて いったり、けいかんに 「まえに つめてください」と いわれたら わざと ゆっくり あるいて みて おしこまれたりなど しておりました。
 ところで、デモに さんかすると、どうろは 《こうきょうの ばしょ》なんだよなあと おもいます。ふつうに いわれるような 「さだめられた ルールや けんりょくによる とりしまりに したがい、みんなに めいわくが かからないように しましょう」といった ぶんみゃくで かたられる 「こうきょうの ばしょ」では なくって。たんてきに 「わたしたちが であったり こえを かわしたり はんぱつしあったり する ばしょ」としての 《こうきょうの ばしょ》。
 かんがえて みれば、ふだん じどうしゃが こっか けんりょくの さだめた ルールに まもられて わがものがおで はしったり してるのも、みょうな はなしです。なんとなく そういう じょうたいが 「あたりまえ」で、たほう、デモなどを やるのが 「いちじてきに とくべつに きょかを あたえられて おこなわれる れいがいてき(例外的)な もの」と かんがえられて しまうのですが、そりゃ はなしが ぎゃくですよね。どうろは ほんらい じゆうに あるいたり こえを だしたりする 《こうきょうの ばしょ》なの。
 デモを すると こころが うきたつのは、どうろが そういう ほんらいの いみでの 《こうきょうの ばしょ》として かいほうされる かのうせいの きざしを ささやかがらも かんじとることが できるからだと おもいます。デモの さんかしゃたちが けいさつの しじに ていこうして よこに ふくらんだり じゆうな ペースで あるこうと したり するのは、いわば しゃかいてき どうぶつとしての にんげんの さがのような ものでは ないでしょうか*2。もっとも、けいさつによる きせいを はねのけることが できて はじめて どうろを わたしたちの ばしょとして うばいかえすことが できるわけで、その いみでは デモたいは いつも まけてばかりだと いえるでしょうが。




 さて、けいさつも うざかったですが、8がつ 15にちの ヤスクニの ちかくで デモを うっただけ あり、さすがに そうとうに こうふんした うよくが ぎょうさん まちうけて おりました。これまた わたしたちは かずの うえでは あっとうされて いる じょうたいだった わけです。
 がいせんしゃの うよくは しょせん スピーカーで 「ばかやろう」とか なんとか さけんでいるだけですし、その さけんでる ないようも よく ききとれなかったので、あまり きに なりませんでした。しかし、「こうどうする ほしゅ」て いうんですか、とっこうふくなどを きないで 「ふつう」の かっこうを して ヘイト・スピーチを たれながす れんちゅう。かれら・かのじょらが おおぜい デモたいを とりかこんで、ここに かけないほどに ひどい、とりわけ かんこく・ちょうせんじんに たいする じんしゅてき へんけんに まみれた、また はいがいしゅぎてき(排外主義的)な ばせいを わたしたちに あびせて きました。
 デモの さんかしゃの おおくは にほん こくみんだと おもわれますし、じっさい わたしも そうなのですが、わたしたちを とりかこんだ うよくたちにとっては 「おなじ にほんじん」の いちぶが ヤスクニや せんそう せきにんや てんのうせいを もんだいにし、デモを おこなっているという その ことが、じじつとして みとめがたく、また ゆるしがたいという ことなのでしょう。てきの いやがる ことを やるのは たたかいの きほんですので、こんごとも ますます はんにち さよくとして はげんで まいりたい、そういう こころづもりで ひび しょうじんする しょぞんで ございます。
 ばせいだけでも ひどかったですが、おどろいたのは こちらに おそいかかって くる うよくが なんにんも いた ことです。わたしたちの なかまに、どう みても ヒロヒトにしか みえない おじいさんの かおを くっつけた、なかなか よく できた はりぼての がいこつ にんぎょうを かかげてた ひとが いたのですが、おそいかかって きた うよくによって こわされてました。ありゃりゃ……。うよくの てに よって ヒロヒトが ずたぼろに されて しまいました。いーんでしょーか? わたしは べつに かまわないけど。あと、「皇賊対処」(こうかいぞく たいしょ)と かかれた すてきな たれまくも かれらを いたく いらだたせていたようで、これを めがけて おそいかかって こようとした うよくが いました。さいわい、たれまくも もっていた ひとも ぶじでした。
 ふくざつな きもちに なったのは、わたしたちが こうして おそいかかってくる うよくたちから けいさつによって ガードされていたという じょうきょうに あった ことです。デモたいに むかって つっこんでくる うよくを けいさつかんが からだを はって とめるという ばめんが なんども ありました。もっとも、うよくにしても、けいさつに とめられるのを みこしているからこそ あんしんして つっこんで これるという ことも あるでしょうから、わたしたちが「けいさつに まもって もらった」と どこまで いえるのかは びみょうな ところですが。ともかく、うよくと わたしたちの あいだで こぜりあいなどが おこった ばあい、けいさつが うよくの がわに かたいれして こちらがわを たいほするという じたいも じゅうぶん よそうされますので、とくに ヤスクニまぢかに きて うよくの こうげきが はげしくなってからは きんちょうの とけない じかんが つづきました。
 デモの さいちゅうには けがにんが でなかったようですが、デモが おわった あとに うよくに おそわれて かおから ひどく ちを ながして いた ひとを みかけました。いかの サイトで くわしい ほうこくが なされています。


報告:「戦争国家で安心安全」を問う8・15行動


 はなの ほねを おられる ぜんち 3しゅうかんの けがを おわされたそうです。ゆるしがたい ことです。
 うえの サイトにも かかれているように、デモが おわって かいさんしようと いうときにまで うよくたちが わたしたちに つきまとって きました。かいさんするのも ひとくろうという じょうきょうでした。
 こうした うよくの ふるまいを まの あたりにして、かれらの にくしみが ほんきの ものであること、また そうした はげしい かんじょうの まっさきに むかうさきが ざいにち ちょうせんじんであるという、ほんとうに のっぴきならない じたいに あることを あらためて つうかんしました。
 わたしたち さよくが 「はんにち じょうとう」(反日上等)と さけぶことが 「はんにち」という ことばに じったいを あたえているのだとか、よわい たちばに ある がいこくじんを はいがいしゅぎしゃの こうげきの やおもてに たたせることに なるとか、そういった ひはんが すくなからず あることは しょうちしてます。しかし、わたしたちが 「はんにち」を さけぶか どうかに かかわらず、また わたしたちが 「はんにち」を かかげる まえから すでに げんに、うよくたちは がいこくじん、とりわけ ちょうせんじんや ちゅうごくじんに たいする にくしみと さべつの ことばを もじどおり ぼうりょくてきに まきちらして います。
 そして、かこと げんざいの にほんの しょくみんちしゅぎを こくはつし その せきにんを とう、ちょうせんや ちゅうごくの ひとたちの せいとう(正当)な といかけに たいする はんどう(反動)として、うよくたちの にくしみが かりたてられて いるのは あきらかです。いちぶの うよくの はいがいしゅぎ・ヘイトスピーチの もんだい、にほんの しょくみんちしゅぎと ヤスクニ、また てんのうせいの もんだい、がいこくじん じゅうみんへの さべつ せいさくの もんだい。これらは きりはなして べつべつに かんがえることの できるものでは ありません。
 にほんの しょくみんちしゅぎや がいこくじん じゅうみんへの さべつ せいさくを とうことが 「はんにち」だと いうなら、にほん こくみんこそが 「はんにち」を ひきうけなければ ならないでしょう。「はんにち」と みずから なのるか どうかは べつとしても、にほん こくみんは、がいこくじんが そうするよりも、はるかに ひくい リスクで、うよくや にほんせいふに ひはんてきに たいする ことが できるのだということ、だからこそ にほん こくみんこそが まっさきに 「はんにち」でありたいものだとも おもいます。



「ヤスクニジャズ――ヤスクニは ぐんじしせつ」/ニートはジャズバンド

 あべさん(id:hituzinosanpo)が うたい、わたしが ギターと ベースを ひきました。あとで id:sarutoraさんが ピアニカを いれて くれるそうです。
http://d.hatena.ne.jp/asita211/20090816/1250449081

*1:なんか いい かみ つかって かねの かかってそうな ビラを くばってる ひとが いたので、うけとってみたら、じみんとう(自民党)の ビラでした……。まあ、じみんとうが こういう ところで ざいとくかいなどと いっしょに うんどうしてるのは おにあいでは あるよね。

*2:そうだと すれば、けいさつこそが はんしゃかいてき(反社会的)な そんざいと いえるでしょう。