「子ども」の表記について

 上のエントリに「子ども」と表記して投稿したら、キーワードにリンクされたので、「ほう、こんな言葉も登録されているんですか?」と興味深く思い見に行ってみました。

自分の娘や息子。

小児・児童。


■ 表記の問題について

「子供の“供”は蔑称であるからひらがなで書くべきである」と主張する人たちもいるのだが、本来、供は単純に複数を意味するものであるから、漢字とひらがなをまぜて書く「子ども」という表記はおかしい、と主張する人たちもおり、論争となっている。

「子ども」表記は共産党や女性団体などに多く見受けられるようである。

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%bb%d2%a4%c9%a4%e2


 どこで誰が論争しているのか、寡聞にして知らないのだけれど、この通りだとすると、ずいぶんずさんな論争をしているなあ、と感じました。

 「子ども」表記を推奨する立場としてキーワード作成者さんが紹介なさっている「“供”は蔑称」という理屈が不可解であります。たしかに「供」はお供をする従者を意味しますが、それを問題にする人が「蔑称」だとしているというのは正確なのでしょうか。かりに「子供」の表記を問題にするのだとすれば、もうちょっと洗練されたやり方をするのではないかという気がするのは、好意的にすぎるのでしょうか。たとえば、「主従関係」のニュアンスをふくみかねない「子供」という語はよろしくない、というような。しかし、それは「主従関係」の問題であって「蔑称」の問題とは異なるように思えます。
 ま、これについては、あとで気が向いたときにでも調べてみようかと思います。


 もう一方の側の主張にしても、「本来、供は単純に複数を意味するものである」というところまでは納得できるにしても、だから「漢字とひらがなをまぜて書く『子ども』という表記はおかしい」とまで言ってしまうのは、ちょいと飛躍しているんじゃないかしら。そんなところに目くじら立てるんだったら、「皆さま」とか「鼻くそ」とか「私ども」とか「僕ら」とかの表記も問題にしないと、主張が一貫性に欠けてしまうではございませんか。どうして「子ども」だけ槍玉にあげるざんすか。
 この疑問を解くカギは、上の引用最後の「共産党や女性団体などに多く見受けられるようである」のくだりにあるのかもしれません。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の心境ではないのかな。子どもっぽくてかわいらしいですね。


 ちなみに、私が「子ども」と表記するのは、「子供」と書くと私の理解している字義に照らして若干違和をおぼえるから。
 第1に、「子ども」の語は単数でも複数でも使う。単数の子どもを「子供」と表記するのは変だし、単/複を「子/子供」などと書き分けるのはわずらわしい。
 第2に、やはり「子供」の「供」を複数を示す接尾語と解釈するのは、やや無理があると考えるから。たしかに、漢和辞典にその字義はのっているが、複数を意味するのであれば「供」ではなく「共」の方がしっくりくる。「子供」のほかに「供」が複数をあらわす働きをしているといえる熟語はちょっと思いつかない。
 第3に、自分の書く文章としては、漢字が多いのはきらい。もっとも、慣例として定着している表記をなるべく選択したいとは思いますが、せっかく「共産党や女性団体など」が広めてくれているのなら、私としては漢字の少ないほうにのっちゃえ、ということです。