Brian James──忘れられた(?)天才
私がものごころついたころには、70年代後半のロンドン・パンクはすでに終っていた。
そういうわけで、The ClashもSex PistolsもDamnedも同時代には体験しえなかった。かれらのすぐれた演奏と曲は「音源」としてしか知りようがない。
そして、この「音源」が後々までのこってしまっているというのは、かれらにとってどういうことなんだろう、と思う。
ミック・ジョーンズやジョン・ライドンといった人たちにとって、おそらくはクラッシュやピストルズの時代が絶頂期であって、今後その過去を超える密度をもったレコードなりパフォーマンスなりに達することはもはやないだろう、と思われる。本人たちがどう思っているかは知らないけれど、聴く側は彼らが出てくると、元ピストルズとか元クラッシュの……という眼でみてしまう。
まあ、過去にみずからがうち立てた金字塔にしばられるというのは、聴く側にとってみれば想像しにくいが、本人たちにとってなかなかムカツクことじゃないのだろうか。
で、今日とりあげるのは、ダムド(DAMNED)の元ギタリストにしてリーダーだったBrian Jamesのファースト・ソロ・アルバムである。ファーストといっても、セカンドがあったのかどうなのか知らん。
「奴にギターを持たせるな!」という邦題のつけられた1990年発表の本作品*1は、元ダムドとかなんとかというくくりで聴くのは意味をなさないような、たぶん隠れた名盤といってよいのではないかと思う。
聴きどころは、天才ギタリスト、ブライアンの惜しまれる才能である。
ブライアン自身によるボーカルはへろへろ、よたよた。
バックのリズム隊も、悪くはないけどもっとマシな人は見つからなかったのか、と思えてしまう。ベース*2はおざなりに弾いているのか自信がないのか存在感なしだし、ドラムスは突っ込みぎみでドタバタしている。
レコーディングもトラック数が少なくてお金がかかってない感じ。
こういったチープな印象を与える要素が、ブライアンのギターをひきたてている。もっとまともな環境としかるべきメンバーのサポートのもとつくり込めば、この人はものすごい作品を作るのではないかと思えてくる。
ブライアンが本作品でおもに使っているギターは、テレキャスターかなあ……。明らかにテレキャスっていう曲もあるが、よくわからない。ダムド時代よりもだいぶひずませていて、ざらざらとした音づくりをしている。カッティングは、基本的にあまり高音は使っていないようだが、高音のびりびりしたノイズがまじるのが気持ちいい。
リードに入るときのゆったりともちあげるチョーキングは驚異的である。基本的には、チョーキングのタイミング・呼吸とビブラートの妙技、それにアンプの調整による音づくりだけで(だと思うんだけど)、聴き手をひきこめるということなんだと思う。まったく、すげえ、そう思う。
で、チョーキング・ビブラートを有効にいかして入ったソロは、今度はたたみかけるように、痙攣するように疾走していったりもする。
たぶん、私が思うに、ダムド時代よりも音がのびるような設定で、ダムド時代にはみられなかったほどチョーキングとビブラートをしつこくやっているのは、本作品の重要なミソなのではないだろうか。性急に聴き手をハイ・テンションな音に引き込もうとするのではなく、ゆっくりと釣っておいて、聴き手からすると気づくといつの間にかブライアンの疾走する世界にのみこまれているという。
一見、技術的にそう難しいことをやっているようにはみえない。
リスナーの「あ、おれにもできそう」という錯覚を動員の力にして巨大化していったのが音楽産業としてのパンクだとすると、ブライアンがかつて属したダムドの、技術的にきわめて洗練されていて、何よりあからさまにそう《みえる》作品よりも、本作品のほうがパンクなんだろう。
つい真似したくなるのね。真似できるような気もする。もちろんそっくり再現などできないのだが、この作品を手本にして弾いてみると、われながらちょっといい感じになる。そういうわけで、ギター弾きのよいお手本、教科書になると思う。
それに、バンド・サウンドとして完成度が高く、密度の濃いダムドの作品よりも、こちらの方が落ち着いてブライアンの魅力を堪能できるし、力まずルーズに仕上がっているところもじっくり聴くにはちょうどよい。
ところで、ブライアン、いまどうしてんのかねえ、と思う。
本格的な彼の新作を聴きたいなあ、と考えながら、ときどきこの「奴にギターを持たせるな!」を引っぱり出してかけるなどして待ち、10年になるのである。