「学校」を攻撃するということ(1)


 きょう、大阪の小学校で、侵入した少年に教師らが刺された事件をめぐって。


 とはいっても、事後あまり時間がたっておらず、ほとんど詳細のわからない事件に対して、脊髄反射的に反応して何かを語ってしまうというのはすごくヤバイことではある。また、自分のごくごく狭い経験をもとに「昔は○○であった」「最近の○○は……」なんてふうに「一般化」や「時代比較」なんかやらかすのは、避けなければならないであろう。
 今回の犯行そのものの背景については何もわからない、「分析」して語りうることなどない、という点は念頭においたうえで、思うところを書きつづってみたい。


 おそらく、池田小学校の事件のときにそうだったように、今後、学校の「危機管理」ということがまた議題にあがるのだろうな、と思われる。で、そこでおもに論じられるのは、校門の施錠であるとか、監視カメラの設置であるとか、来訪者の身元チェックであるとか、そういったハード面に関することなのであろう。
 もちろん、危急の策としてはそれらハード面での「危機管理」体制・設備を厳重にするということに、一定程度の必要性はあるのかもしれない。しかし、それもやりすぎると逆効果じゃないの、というのがロマンティストすぎるのかもしれない私の直感。


 たぶん深刻に考えなければならないのは、卒業後何年もたった少年が最終的に攻撃対象として選んだのが「学校」であった、という事実ではないのだろうか。今回のような惨事にまでいたらなくても、卒業生によって校舎じゅうの窓ガラスが割られる事件は頻発しているようだ。


 敵意、怨恨、憤懣はなにゆえに「学校」にむかうのか。
 たしかに、それは一見したところ、あまりに納得しやすいことのようにもみえる。今の小・中学生がおかれている状況はよくわからないけれど、自分が子どもだった15年20年前のことを思い出してみても、一方では「学校」はクソであった。
 子どもたちどうしのいじめがあり、そこに教師が加担することもめずらしくなかった。加担するどころか、教師が率先していじめの先導をつとめることもあった。見せしめだけのためにとくに非のない生徒をなぐる教師──「なめるなよ」と言ったものだった──はじつに多かったし、「内申書」に言及して生徒を恐喝する教師は少なくなかった。部活動では上級生に奴隷のごとき絶対服従が強いられ、不条理なしごきもあった。
 今では事情が変わっている部分もあるだろうし、地域や学校によっても様々なのであろうが、今は今で、昔は昔で、「学校」はクソでありつづけているのだろう。
 そういった面では、「学校」を標的に選ぶのはかならずしも不可解ではない、とは思う。そして、「学校」が選ばれることの要因のひとつには、「学校」というのがきわめて「セキュリティ」の甘い、攻撃しやすい対象であるということが、あるいはあるのかもしれない。だとすると、監視カメラの設置や警備員の配備という対策が論じられるのもわからなくはない。


 しかし、そうではあるものの、私としては「学校」が攻撃対象に選ばれること、そしてその攻撃が死傷者の出る無惨な形で遂行されてしまったことについて、ちょっと考えてみたいと思う。
 そんなことを考えるのは、「学校」がクソであったと言いつつも、私が一方では幸福な「学校」生活を送ったと今では思えるからかもしれない。次回以降に書くつもりであるが、私が「破壊活動」って楽しいじゃないの、ということを学んだのは「学校」においてであったし、「破壊活動」は他人を傷つけずに遂行すべきである、ということもまた「学校」で学んだ。
 人を刺したり、窓ガラスを割ったり、ということを卒業生が──卒業生がだぜ!──学校に帰ってきてやるっていう状況はどうもやりきれない、と少し思う。不謹慎ではあるかもしれないが、セキュリティの脆弱さよりも、むしろ「攻撃」のやり方の貧しさの方に、私は問題をみてしまうのだ。


(つづく)