「これも半額になります」──貧する貴族


 スーパーで夕食の惣菜を何品かもとめ、レジに持って行くと、
レジの兄ちゃん
「半額になります。ええ、これも半額になります。これも半額になります」
って3回くり返した。
 まあ、半額の惣菜ばかり3品買ったわけだから、「半額になります」を3回くり返すのはいたしかたないのだろうけど、「これも」「これも」言わないでください、頼むから。


 ケチなのは性分だからしょうがないとして、そんなケチな自分をちょっと恥ずかしく思ったりする気持ちって何なんだろう。
 見栄ってやつだろうか。見栄には違いないんだろうけど、見栄っていうにはちょっと違う気もする。

 かりに、ウン千万とかの金が思いがけなく*1手に入ったら、私はどうするだろうか。
 もし私が見栄っ張りで、それで自分の「ケチ」な買い物を恥じているのだとしたら、大金を手にしたあかつきには、蕩尽っつうんですか、これ見よがしの豪遊ってやつをやるだろう。イメージとしては、美女をはべらして「ガハハハハッ」てドンぺリ空けるっていう成金さん──実際に見たことないけど──のふるまいね。グスッ、イメージも貧困だな。とにかく、見せびらかしの浪費ってやつだ。


 しかし、たぶん私はそうしないと思う。
 で、何をやるか。定期預金をすると思う(泣)。そういえば、30過ぎたのに定期の口座もったことないよオレ。大丈夫か、老後は。なんて他人事みたいに言ってる場合か。まあ、どうでもいいんだけど。ははは。
 もしくは、マンション、それも安めのを買うと思う。一括払いでドカンと。マンション。豪邸でなくてもマンション! すばらしいじゃないか、兄弟! だって、毎月の家賃を払わずにすむんだぜ。失業したって、とりあえずはホームレスにならずにすむんだぜ。
 おそらく、ウン千万なんてケチな金額でなくて、ウン十億とか入っても事情はおなじだと思う。ドンペリ空けて「ガハハハッ」ってはならず、郊外にマンション買って、残りは定期預金。これ見よがしの蕩尽とは無縁なのだろう。
 だから、消費に見栄を張りたいわけじゃない。なのにケチな自分がちょっと後ろめたかったりするのはなぜなんだろう、と不思議に思うわけである。


 それはなぜなのか。その理由に今、思いあたった。なるほど。納得。
 書こうかな。書くのやめようかな。やっぱり書こう。笑わないでね。


 それはきっと私に貴族の血が流れているからだと思う。
 権勢を失った没落した貴族は、しみったれた口調で「文化」を語る。「カルチャー」「ブンカ」「キョーヨー」。ケッ、しみったれてらあ。
 反対に権勢を誇り、この世の春を謳歌する者は、カルチュアなんてものにぐちぐちしみったれた思いをこめたりしないのだ。で、馬を──馬券じゃなくってね──を買ったりするのさ。


 カルチュア。その概念は、没落しつつある有閑階級が田舎成金を笑い者にするために発明されたにちがいない。いや、実際のところは知らないけど、きっとそうだ。たぶんそうだ。そうかもしれない。本質的に、カルチュアはルサンチマンのつまったなぐさみものなのだよ、きっとそうなのだよ。
 だから、オレは音楽などについて、いいかげんなウンチクを傾けずにいられないんだよ。半額だとか30%オフだとかをひそかに卑しいものを見る目で見つつ、ドンペリとか傾けてるジジイを腐ったものを見る目で見て、それが貴族さ。とっくに没落して、日々の労働で生計をたてなけりゃならないってのにね。栄華を誇った日々の記憶なんて全然ないけれど。オレは高貴な生まれだったんだ。おそらく。たぶん。きっと。


 「これも、半額になります」「ああ、これも半額ですね」って言われても動じず胸を張っている、そんな人間になりたい。かつて愛らしい少女だった太っちょのおばさんのように。

*1:「思いがけなく」ってしか言いようがないところが悲しい。金額もセコイね、イチローさんと同い年なのに。