「危険がいっぱい」って強迫観念か?


 人ごみには危険がいっぱい。だから、緊張して歩く。
 いや、「だから」というのは変だな。
 危険がいっぱい、だから、感覚を鈍磨させて神経を弛緩させて歩く、という選択だってあるわけだ。外的な危険の回避よりも、内的・心理的なストレスの軽減を優先させるならば。


 人ごみには危険がいっぱい。そして、私は緊張して歩くことを選択しているのである。だから、疲れる。疲れるのはいやなので、あまり出歩かない。しかし、出歩かないと生活できないので、仕事とか買い物とか必要最低限の頻度で出歩く。
 背後から刺されるかもしれない。スリにあうかもしれない。線路に突き落とされるかもしれない。人ごみには危険がいっぱい。
 迫りくる危険があるならば、迅速に察知し、これを回避したい。しかし、今日はそれがあだになったのやもしれぬ。というのは、神経を緊張させている人間――こわがりな人間――の動作というのは、あやしくみえるものだからね。


 駅を出て通りに降りる階段を歩いていると、背後から一定の距離をたもってつけてくる男。斜め後ろを歩くその男は、人ごみのなか2メートルほどの距離を維持したまま離れない。心持ち急ぎ足になる私。でも、そいつはずっと離れない。ああイヤだ。刺そうと思えば刺せる距離じゃないか。2度か3度、私はそっと振り返ったかもしれない。
 気がつくと、そいつは私の前に回り込んで、左前方に立ちはだかっていた。
「○○警察署の者ですが、お時間はよろしいですか」
 私服の刑事は、身分証明書を私に差し出した。私の右には、体格のよい制服の警官が脇を固めるように立っている。
「これからお仕事ですか。実は、この近くで窃盗事件がありまして、服装の特徴がよく似ていらっしゃるようですので、少しお話をうかがいたいのですが」
 口調はあくまでも慇懃で身長も私よりやや低いくらいだが、威圧感は半端でない。通行人がこっちを振り向くのを感じる。
 「えーと、これ任意なんでしょ?」などと言ってそそくさと立ち去る、なんて勇気はなく、「急いでるんですけど」とだけ答える。緊張すると、どうも口調がぶっきらぼうになり、むっとした態度をとってしまう癖がある。それでも、刑事は顔色ひとつ変えるでなく、落ち着き払っている。
「お時間とらせてしまって恐縮です。身分を証明できるものを何かお持ちでありませんか。免許証とかでいいんですけど」
 ひょっとして、つうか確実に、おれ疑われているのね。どうしよ、どうしよ。冤罪だよ冤罪。というか、「冤罪」っておれが? 狭山事件、仙台の「筋弛緩剤混入事件」、留置所、面会の制限、などと縁起でもない連想が勝手に頭んなかをめぐる。鳥越さんの番組で取り上げてくれるかな、とか。
 身分証明書などは持っていなかった。「ああ、カバンの中とか調べられるのかな」などと考えていたら、あ、そうだ、帰りにコンビニで支払うつもりだったNTTの請求書がカバンに入っているんだった、というのを思い出した。「ハガキでいいですか」って言ってそれ出して、ことなきをえた。
 「あ、○○市にお住まいですか」なんて言って解放してくれた。しかし、そう言いながら、しっかりと番地まで自宅の住所を頭にたたきこんでるんだろうな。前科があったりしたら大変だ。


 あとになって冷静に考えてみると、職場に電話すれば身分を確認してもらえるとか、直前まで電車に乗っていたことを証明できればアリバイは成立するだろうとか、そんなやばい状況ではなかったのだけど、オマワリに囲まれるとびびるよ。むこうはいかに紳士的であっても刑事なのであって、「刑事に何ができるか」という考えが頭によぎると、やはり怖い。この「相手に何が可能か」ということをたえず想定することは、危険をなるたけ回避して生きていくために必要なことだと私は思うのだけれど、なかなかストレスフルなことでもある。
 しかし、このストレスフルな状況は、同時にある種の娯楽の要素でもあるのですね。サッカーや野球などのスポーツや将棋などのゲームは、まさに相手の出方の可能性を読むことに楽しみがあるのだろうし、こういった不安や恐怖を快へと転換するゲームには、大いなる知恵がつまっているんじゃないかと思う。推理小説とかね。あと、こういった娯楽性を物語のなかで一貫して追求しているのが『ジョジョの奇妙な冒険』ではないかな、という気もする。「おまえの次のセリフはこうだ!」っていうジョセフ・ジョースターの決めぜりふはカッコイイなあ。


 で、今日、ポリさんたちから解放され、ほっとひと安心して真っ先に浮かんだ考えのひとつが「あ、ネタひとつゲット。これ、はてなダイアリーの日記に書こう」なんてことだったのが、可笑しい。というわけで、おかげで今日も更新できた。ありがとう、刑事さん。
 だけど、職務質問するときはあらかじめ「これは任意の質問でありまして、あなたには回答を拒否する権利があります」ってことわるべきだと思う。だって実際そうなんだし、こわいんですよ、やましいことがなくても。しどろもどろになってあらぬ疑いをかけられるということだってありうるんだから。