ステイツマン・コンプレックスの困ったちゃんたち


 集団においてしばしばあることだけれど、臆病なとっちゃん坊やほど、外部集団にむかってすぐカーッとなり、「なめんなよ、キーッ」ていってわめく。そういう坊やは、自分がよりかかる集団に忠誠を示したいだけであって、まじでケンカする度胸も覚悟もないのだろうが、まったくはた迷惑なふるまいである。


 で、長老格の老人が、そうして暴走しがちな坊やを「まあまあ」となだめつつ、いさかいの相手との間にたって調整をはかることで、深刻な事態がかろうじて収拾されるということも、まま見受けられることである。そういう老人というのは、境界を行ったり来たりするわけで、胡散臭くみえるものではあるし、実際に利権を漁っていたりするのだろうけれど、刃傷沙汰を事前に回避するうえで重要不可欠な存在であるように思う。


 ところが、昨今、(単細胞のチンピラからは)「どっちつかず」に見える老人たちが、「利敵行為だ!」みたいな目で見られ、その居場所と影響力を失いかけているように思われ、私は胸騒ぎがするのだよ。おそらく、10年といわず数年のうちに、調整役の老人たちは降壇し、しかも彼らのポジションを引き継ぐ者がいないという相当に危険な状況がおとずれるのではないだろうか。杞憂であればよいのだけれど。


 正しいポリティシャンの役目は、集団を「代表」することではなく、集団間にいて「調整」をはかることだと思うのだが。


 リーダー・シップなんぞクソくらえ。ケネディの野郎がやったことはなんだ?