今日はわりときれいに和音が鳴った


 2時間ぐらいアンプにつないで弾いていたら、ピックと弦の当たり具合に勘が戻ってきた。アンプから出る音と、手もとに感じるピックのしなりと弦のたわみを感受し、腕と手首の振りを調整する。なんかぎこちなかった腕や手から力が抜け、音がだんだんとよくなってくる。
 ギターは長く続けていると、まあ途中でブランクが空いて腕がなまったりはするにせよ、確実によい音が出る方に向かっていくものだと思う。それは、「よい音を出せる」ようになるというより、そういう「方に向かっていく」という感じがするから妙である。何かに導かれているような。
 こんな風なことを言うと、生意気にも名ギタリストみたいな謂いだが、たいした技術がなくてもそう感じることはある。
 ちょっとした弾みで「あ、この音いい」と気に入った音が出ることがあって、それはまさに「ちょっとした弾み」、偶然に出た音なのであって、それを再現すべく試行錯誤してみる。そうしているうちに、徐々に定常的によい音が出るようになっていく。
 それは「コツを体得していく」ということではあろうが、「コツ」や「技術」にさきだって、「ほら、こんな音も出るんだぜ」ってギターが教えてくれるかのよう。そうやって見せられた像に向かって近づこうといしていくなかで、「技術」がついてくる。
 そして、導かれるままについていって「間違う」ということがない。なぜなら、誰かが勝手に決めたみえない「目標」があらかじめどこかに「ある」のではなく、僕だけにみえる「目標」がそのつど開けてくるのだから。一人で部屋にこもって一心不乱に弾くかぎりは。そして、やめずに弾きつづけているあいだは。