これは事件ではないのか?


 ミニストップですごいもん売ってた。ここまで来たか、と感慨深いものがあった。
 ご飯にツナがのっててマヨネーズかかってるだけで、おかずなしのミニ弁当。しめて300円なり。


 むろん、ダシをとるかわりに味の素を使うのはアカン、というような高度成長期の姑の小言じみたことを言うのではありませんよ。できあいのおにぎりが当たり前に店頭に並ぶようになったのは80年代の後半でしたかね。90年代にはお茶すらペットボトルにつめられて商品化され、コンビニや惣菜屋でただの炊いた飯が単品で売られるようになってひさしいわけで、「戦後」に主婦が家庭内でになわされてきた労働がつぎつぎと外部化されていくことに、いまどきなんら驚きはない。私自身、その恩恵はおおいに受けているわけで、文句を言う筋合いもない。
 ところが、くだんのミニストップの弁当は、それどころの話ではないではあるまいか。

 米をといで炊く手間を、食品産業がいわば「代行」するのは理解できる。男女問わず、フルタイムの仕事をしている人にとって、そんな手間をかけるほど暇や体力をそうそうもてあましてるわけないものね。だから、ご飯だけ単品で売っているという状況はわかるのですよ。
 しかし、ご飯にツナとマヨネーズをかけただけの弁当が売られているという背景には、どんなニーズが見込まれているというのか。これは不可解である。だって、ご飯だけならすでに売っているわけだから、この弁当が「代行」する手間とは、「プルトップ式の缶詰を開けて飯にぶちまけ、冷蔵庫からマヨネーズを出してかける」ということにすぎないのですよ。カップラーメン食うのだって、もっと手間はかかるよ。
 そもそも、私もよくやるけど、ツナとマヨネーズをご飯にかけるというのは、究極の手抜き「料理」ですねん。手間と金をかけずにもうちょっとマシなものを食うんだったら、スーパーや弁当屋で幕の内弁当でも買ってくればよいだけの話。
 そのうち、「生卵ぶっかけご飯」とか「キムチのせご飯」とか売り出されるんだろうか。おかず抜きで。


 家ではなく、職場など外で食べるための弁当ってことなんだろうか。それにしたって、ツナマヨネーズ弁当っていうのはねえ。買ってまで食いたいか? そんなニーズあるのかなあ。
 まあ、食生活に「手間」をかけるという発想自体がなくなれば(つまりは、ほとんどいっさいの食事を外食かできあいの弁当・惣菜ですますのであれば)、ツナマヨ弁当と幕の内弁当などのあいだに差異はないことになるんだろうけど。食のあまねき外部化・商品化というわけだ。
 そういえば、戦後の家事労働をすべて妻にまかせてきた企業戦士的な男性というのは、とっくにそういう認識を生きてきたのかもしれない。彼は「妻(もしくは母)の手料理」か「外部化・商品化された食事」かしか知らないのだから。