素朴な疑問に眠れない


 起床がつらくなるのは分かっているのだからして、早く寝ればよいのだけど、深夜になると微妙に元気になるから困ったものである。
 眠れない。というのも、気になって気になってしかたのない疑問があるからである。なんというかねえ、イメージできないのですよ。ああなってこうなったらどうなるのかなあ、と。


 その疑問というのは、人は太ったまま飢え死にできるものなのだろうか、ということなのである。
 たとえば、あの KONISHIKI さんが1ヶ月以上、水以外に飲まず食わずで過ごしたとすれば、やっぱり飢えるだろうと思われるのだけれども、やつれるのだろうか。やつれる、やせる、といっても、なにしろあの立派な体格である。たかだか1ヶ月の間に落ちる脂肪の量には限度というものがあろうからして、餓死寸前にまでいたっても依然太ったままなのではないかと思われる。
 しかし、太ったまま飢えてもよいのだろうか。いや、倫理的な意味でのよいわるいの問題ではなく、可能なのかどうなのか、ということなのだけど、世の中にはあってよい、存在の許される事象と、あってはならない事象の別があるというのも、確かなことのように思われるのである。チョウチンアンコウが空を飛んだり、3年のうち2度も阪神タイガースが優勝したりするのは、あってはならない事象なのであって、そんなことが万が一にでも起こるようなことがあれば、「私は夢を見ているのだろうか」「ついに終末がやってきたのか」と、もはや自身の目、思考を一切信用することがかなわなくなってしまうのである。
 もっとも、そうやって直感的に許容しがたい事象の存在を目にし、また直感的には理解不能な可能性を理解することこそ、人が知的な営為を深めていく契機だということも言えよう。たとえば、やせた人より太った人の方が水に浮きやすいという事象を経験し、「重いものほど沈みやすい」という直感への信頼が破られることによって、浮力というものの原理を理解するきっかけが開けるのである。
 でも、僕は今のところ、直感にしがみつこうとしている。それは、太ったままの姿で餓死することなどありえない、あってはならないという直感である。だって、そんなの絵的におかしいじゃないか。想像できないじゃないか。脂肪の貯蓄を燃焼しつくし、やせこけるまで、KONISHIKI は死なない。だから、猶予はたっぷりあるんだぜ。


 ところで、巨漢の人というのは、やせた人よりも早くかつ深刻に空腹の苦しみがやってくるように観察せらるる。ところが、体内に貯蔵した脂肪分が人並み以上に多いならば、食わずに生存可能な期間も人より長い(かなり長いんじゃないだろうか)と考えられるので、これはまた難儀なことであろうと心が痛み、また眠れなくなる。