漢検で「国語能力」をはかる?


 変な記事なのだ。


大学1年の正答率4割弱、漢字能力調査 四字熟語1割台(asahi.com)

 最近の大学生は漢字が苦手――。日本漢字能力検定協会が今春初めて実施した「漢字能力調査」でそんな実態が浮き彫りになった。大学1年生の正答率は39.8%で、同じ問題を解いた社会人は約6割。問題は異なるが中高生の正答率よりも低かった。大学生の国語能力の低下を裏付けた形で、勉強や就職への影響を心配し、対策に乗り出す大学も出始めた。


 どうして「初めて実施した」調査なのに「大学生の国語能力の低下を裏付けた」なんて言えるんだろうか。また、「問題は異なるが中高生の正答率よりも[大学生の正答率が]低かった」なんて言っているけど、問題が異なるんだったら、そもそも「正答率」を比較すること自体がまったくのナンセンスじゃないの。


 それはまあいいや。
 しかし、「国語能力」をはかるための試験問題が、いわゆる「漢検」の過去問題って、なんだかなあと思う。

 大学生が特に苦手としているのは、「四字熟語の書き取り」や「誤字訂正」、「対義語・類義語」で、いずれも正答率は14.5%〜17.5%。「頂望」(正しくは眺望)や「廃規物」(廃棄物)といった誤字が見分けられず、「詳細」の対義語を「概略」と、「輸送」の類義語を「運搬」と答えられない。正答率が高かった「読み」でも62.7%、「熟語の構成」も56.5%だった。


 私自身はもうとっくに「大学生」ではないんでどうでもいいのだけど、あんまり得意げに言わないで欲しい。
 いまさら「四字熟語」なんて、全部がそうだとは言わないが、多くは気取った人の衒学ぐらいにしか使い道がないわけだし。記事にあげられていた漢検の問題の「同工異曲」とか「軽挙妄動」とか、わざわざ文章に使うのは、いまどきイヤミでしかないよ。イヤミと受け取られるどころか、「ああ、この人は教養コンプレックスがあるんだな」と冷笑されかねない。まあ、そういうことを冷笑するのは、心ない態度であるわけで、だからこそ漢検のような、人のコンプレックスにつけ込む下品な商売はいい加減やめたらどうか、と僕は思う。


 あと、「『頂望』(正しくは眺望)……といった誤字が見分けられず、『詳細』の対義語を『概略』と、『輸送』の類義語を『運搬』と答えられない」というのも、アホらしい。
 「頂望」? 文句あるか? いいじゃねえか。山のてっぺんから見下ろすということだろ? これはこれで、ちゃんと意味の通った語として成立するじゃないの。まあ、漢語の構成としては、ちょいと型破りだけどな*1。辞書に載ってないからダメだとでも言うのか。造語したらペケか? そんなこと言ったら、漱石の文章なんて「誤字」だらけだぜ。
 「眺望」などというのは、文学趣味の人*2のローカルな言葉にすぎないのだからして、書けない大学生が多くてもかまわないではないか。料理人でない人が料理の専門用語を知らなくても、恥じる必要がないのと同じだよ。
 それから、「対義語」や「類義語」が答えられないから「国語能力」が低いなんて、ちゃんちゃらおかしい。こういう問題は、受験を控えた中学生がいちばん有利なんだよ。塾などで暗記しているからね。それが即座に答えられないからといって、「概略」や「運搬」という語を知らないわけでは必ずしもないだろうに。こんなもんで、はかられるような「国語能力」なんぞ、くだらないぜ。


 だいたいね、この記事を書いた記者氏が、相対的に「四字熟語」を多く知っていて、また人より「誤字」の少ない文章を書けるのだとしても、それは記者用のマニュアルなりアンチョコなりを読んで勉強しているからでしょうよ。それとも漢学の素養を積んだ結果だとでも言うのでしょうか。たぶん、違うでしょうが。
 かりに大学生の読み書き能力が低下しているのだとしても、それを言うのに、試験のための試験たる中学・高校入試の問題にも似た、漢検などというバカげた試験をはかりに使うのは、間違っていると思いますですよ。

  • 「四字熟語」だとか「故事成語」だとかを「教養」と称して切り売りする商売人がいる。
  • で、そのことによって教養コンプレックスを刺激されてヤツらの顧客になってしまう人が一定数いる。
  • その一方で、そうして定義された「教養」をたまたま持ちあわせているくだんの記者氏などが「最近の大学生は漢字が苦手」なんて記事をうれしそうに書き、自身の矜持を満足させる。
  • それを見た俺のようなひねくれ者が「なーにが『四字熟語』だ、薄っぺらい『教養』ふりかざしてるんじゃねえよ」と嘲笑する。
  • すると今度は、この日記を読んだ人が「なんだコイツ、鼻持ちならねえ。お前こそバカのくせにテメエの『教養』だけは特権視してやがる」と鼻白んで……。


 「教養」というものは、他人をバカにするためのツールとして機能してしまうのですね。「教養」を追い求める者は、バカにされるかバカにするかの椅子取りゲームに追われてしまうところがありまして、困ったものである。

*1:オーソドックスな読み方をすれば、「頂望=頂く+望む」で、「高所遠方をうやうやしく見遣る」ぐらいの意味になるか。「霊山富士を頂望す」とか。

*2:というか、「文学的」な語彙に欲情しちゃう変態な人。僕もそうですが。