小説の語り手のように心のなかを覗けたらよいのに


 鼠さん一家を見た。一家、とはいっても、運命をともにし、助けあい、慈しみあうファミリーではない。親鼠が子鼠を食い殺して肥え太るという、それはそれは恐ろしい一家なのである。くわっ!


 数日前、ひとり喫茶店で一服していると、10人くらいのグループががやがやと入ってきて、私のとなりの席に陣を取った。20代なかばぐらいの女性が1人、学生にも見えるスーツを着た20歳前後の男子が1人、ほかは皆40代から50代の主婦と思われるいでたちの女性たちであった。
 盗み聞きするつもりはなかった。だが、彼女たちが私のかたわらの狭いところに、周囲からかき集めてきた椅子とテーブルをぎゅうぎゅうに固めてむりやり腰掛け、しかも大声で話すものだから、聞くつもりはなくても「あら、ここ喫煙席よね」「すみません、禁煙席は空いてなかったので」といった会話も聞こえてくるのである。あいすみませぬね、けむたくて。
 で、どうして彼女たちが鼠の一家と私に知れたのかといえば、そうして聞こえてきた会話の内容からである。若い男子が私から至近距離の席にすわり、その向かいの中年女性と話していた。女性の声はぼそぼそしていてあまり聞き取れなかったが、男子の話し声はよく聞こえてくる。
「……友達にすすめているんですけどね。どうも親が信用しないらしくて、止められちゃったみたいなんですよ」とか「ええ、よく説明はしたんですよ、マルチとは全然ちがうって。でもなかなか……」とか。
 マルチ商法らしきものに勧誘されたときにそれと見分ける方法があって、それというのも「コレって、マルチとどうちがうんですか」と相手にたずねてみることなのだそうだ。もし相手がマルチとの相違をよどみなくテキパキと説明しだしたら、そいつはマルチと考えてまずまちがいない、信用するなよ、と。


 さて、その青年は、背筋をのばしてノートを開き、真剣な面もちで年輩者の助言に耳をかたむけている。素直そうでさわやかな若者だ。相手の目をまっすぐに見て、聞き入っているのである。
 あーあ、この子ぜったいカモられてるよ。まじめに一所懸命にやってるつもりなんだろうけど、ということはしたがって、君は疑いようもなく食われる側の子鼠なのだよ。かわいそうに。
 と、いやおうなく迎えることになろう彼の破滅に心を痛めながら、私は反対の壁をながめてぼんやりするふりをし、彼らの会話に神経を集中させていた。ウフ、こんな場面に出くわすなど、そうそうあるものではないよね。ネズミ講グループの謀議を間近で聴けるチャンスなんてさあ。
 それにしても、喫茶店なんかでおおっぴらに会合をやるものなのですね。まあ、考えてもみれば、みんなが儲かりみんながハッピー、Win-Winですのよ、という理論武装のもと拡大するのがネズミ講であるわけで、ひと握りの幹部を除けば、「後ろめたい行為をはたらいている」という自覚なぞあるはずもなかろう。しかも、首謀者からすれば、密室でコソコソ集まったりして、いかにも謀議ですよという様子を示してしまっては、せっかくのカモに疑念をいだかせかねないのだからして、堂々と会合し、堂々と勧誘するというのが、こういった商法の基本的なやりくちなのかもしれない。
 ということは、もしや、ここに集まっている人たちのほとんどが、カモられる側だったりしてね。なんということだ。


 そんなことを思いつつ、いっそう耳をそばだてて成り行き見守っていると、ボスとおぼしき派手なかっこうの女性が全員に向かって話を始めた。
 なにやら、勧誘にあたって効果的なセリフをレクチャーしているようであった。彼女は、手帳を開いてセールストークのリストを読み上げ始めた。


「相手の喜ぶ言葉を言ってあげることですよ。『お若いですね。化粧品はなにをお使いですか』とかね。『若い』と言われてうれしくない女性はいませんでしょ」
「相手のお宅におじゃまするときは、『いい香りがしますね』、これも使えます」
「あとは、『おきれいですね』と容姿やファッションをほめる。別れるときには『今日はほんとうに楽しいお話を聞けました』」
「『おいしい』……あ、『おいしい』というのは『おいしい話』というときの『おいしい』ですからね」
「それから、『おしゃれな部屋ですね』と言ってインテリアなんかをほめるのもよいです」


 セールストークにしたってずいぶん露骨すぎやしないか、と思ったのだけれど、全員がメモをとりながらボスの話を聞いている。ここで気になってしかたがなかったのが、ボスは確信犯としても、他のメンバーたちの自覚の有無である。自分たちがヤバイことをやりつつある、あるいはヤバイことになりつつあるという自覚があるんだろうか、ということである。もう、ハラハラしてたまりませんでしたよ。だって、そんな、いかにも詐欺師が使いそうな白々しいほめ言葉を並べられたら、いくらなんでも自分が危険に足をつっこみかけているのに気づくんじゃないだろうか。彼女たちの内心はいかに?
 すっかりだまされて「みんながWin-Winできる、すばらしい経済システムだわ。私も前向きにがんばろう」と信じきっているのだろうか。それとも、詐欺まがいだということはうすうす気づいていて、それでも「自分は食う側であって食われる側ではない」と信じ込んでいるのか。はたまた、完全な確信犯で、かつ冷静にそろばんを弾くこともでき、「自分は売り抜けて儲けられるけど、こいつらはあとで泣きをみるマヌケどもさ、ククク」と内心ほくそ笑んでいるのか。
 こうなるともう、私は横目でチラチラ観察するのをやめられないわけです。ひとりひとりの性格とメンバーどうしの人間関係・上下関係を推量して、だれがどこまで事態を認識しているのか、想像するわけです。


「ボスとそのはす向かいの目つきのきついおばさんが、狡猾な確信犯のタヌキかなあ」
「その左隣は、詐欺まがいだって自覚はありそうだけど、自分だけは大丈夫だと思いこむタイプだな。でもこのグループでの地位はあまり高そうでないから、ババを引くことになるかもね。エサにありつける鼠の数は、あなたが考えるよりわずかなのだと思うよ、僕は」
「こっちの無表情で静かな話し方をする女性は、どっちだろう。腹にいちもつありそうでもあり、イノセンスにも見える。うーむ、判断が難しい」
「青年よ、きみはもうダメだ。終わってるよ」
「あるいは、ほんとうの黒幕はこんなところに姿を出さないとも考えられるぞ。あっちのボスとおぼしき人も食われる側で、使い勝手のよいコマとして利用されているんじゃないか」
「とすると、ここにお集まりのみなさんは全員カモ? カモがみずからもカモだと知らずにカモを食う気でいるとしたら、そりゃ傑作な図だな」


 などという空想にふける、そんなひとときをすごしました。
 と、ここまで書いてきて、「おれって何さま?」と思った。