露店商と神隠し(1)


 母校の中学が改築されて新校舎になるという話を、そういえば何年か前に聞いたなあ、とふと思い出した。「母校」といっても実は卒業できなかったんだけどね。それは学力が足りなかったからでは必ずしもなく、3年生の途中で転校したからなんだけど。
 そんで、サイトはあるのかなあとググってみたら、ちゃんとあった。今さらながら改めて思いましたけど、インターネットはすごいね。その学校のある都市には、もはや私の実家はなく、10年くらい前に1度行ったきり、今後も訪れる機会は当分ないだろうに、新しい写真をこうして見られる。


 なつかしきボロ校舎はすでに取り壊され、なんとも立派な校舎が建っていた(写真はこちら)。いやはやモダーンなんだかポストモダーンなんだか、建築のことはさっぱりなので、よく分りませんが、近未来の学校っていう感じ。ほとんどSFの世界にも見える。
 教室と廊下をへだてる「壁」はガラス張り、職員室もガラス張り、渡り廊下は両脇に欄干みたいなのがついており、まるで「橋」のよう。
 こちらの旧校舎の写真と比べてみると、隔世の感がある。私の青春は、この廃墟のような校舎(これはこれでSFチックで趣がある)にあったのですよ。まあ、16年以上も前のことだから、もうちょいきれいだったとは思うけどね。
 あとからの増築で校舎のへりにくっつけられたとおぼしき不格好な技術室とか、吹雪がたてつけの悪い窓のすきまから吹き込むバラック長屋のような部室棟とか、鉄サビの匂いのする体育館脇の水飲み場とか、そういったものがもう取り壊されて無くなったのかと思うと、ちょっぴりセンチな気分にもなるのでした。
 建築物はいつかは全部ぶっこわさないとならないときがくるのだろうけど、一度ぶっこわしてしまえば、また一から歴史を作っていかなければならないわけで、それは古い姿を知っている者にはなかなかせつないことだと思う。
 もちろん、私のようなジジイのメモワールなんぞ、新しい校舎で過ごす若人たちにとって知ったこっちゃないだろうし、老朽化して危険もともなうであろう建物なんか後生大事にするより、新しくて今の必要に応じた建物にさっさと建てかえた方がよいとは思う。それにしても、新しい校舎は、今後生じるかもしれない新たな必要や、いずれ避けることのできない老朽化に応じて、「つぎはぎ」しながら使える可塑性が充分にあるだろうか。写真だけからはよくうかがえないけれども、そのあまりに完成された、というか完結した造形(校舎内部ではなく校舎の外観のこと)からは、「つぎはぎ」の余地がなさそうで、ちょっと窮屈な感じがする。
 まあ、杞憂ですかね。何10年かたてば、外壁なんかも見る影もなく汚れて、新たにつぎはぎされる施設や建物なんかとも、よい具合に調和するようになるのかもしれませんね。


 なんか、すご〜く、いや〜な文章になってしまいました。もし、リンク元などをたどって在校生の方がここを読まれることがありましたら、オッサンのくりごとと思って笑っておくんなせえ。愛してるぜ、山王中。


 前置きがずいぶんと長くなってしまったが、ここからが本題なのである。
 こちらで、「生徒指導だより」というのが公開されているのだが、そこに記された禁止事項や注意事項はなかなか興味深く読める。こうして情報がある程度オープンにされていると、学校側がどういうことにピリピリしているのか第三者の目にも見えて、よいと思う。危機に対して学校のみが対処するのではなく、そこに地域との協力の可能性がひらかれるのかもしれないと思う。
 中学生のころは「何でもかんでも管理しやがって」と反発したものだが、学校が「変質者」「恐喝」「声かけ事案」(援助交際のこと?)など、いわば「外部の脅威」への対処に過剰に神経質にならざるをえない事情もかいまみえる。学校側からすれば「携帯電話」やら「プリクラの撮影場所」やら「ゲームセンター」やら、学校を一歩出れば危険がいっぱいということなのだろう(なにせ、繁華街に隣接する学校ではある)。そういった場所に近づくな、携帯電話は学校に持ち込むなとの指示がなされている。駅周辺や神社までも、「変質者や恐喝の被害が起こりやすい場所」だから「できるだけ近寄らないように」と注意されている。
 学校としては、管理責任というものがあろうからして、そう言うほかないのだろうけど、こうもいたるところを危険場所と指定せざるをえないとなると、生徒からすると「近づくなって言われてもねえ、通らざるをえない場所だしねえ」と指示そのものが形骸化するのではないかと思われる。
 もはや、「学校」対「外部の危険」という枠組みでは、にっちもさっちもいかぬということなのではないだろうか。それに、そもそも、「学校」の中だって安全とはかぎらないんだしね。「外部の敵」から「内部」を囲い込むのとは異なった安全保障の仕組を考えなければならないのだと思うし、そのためには地域の協力も欠かせないのだろうけど、言うは易し、行なうは難しだね。
 で、これは私が中学生だった10何年も前から、抜き差しならぬ問題としてあらわれていたと思われるのである。その「外部」に対する意識がいびつな形をとってあらわれたものとして、いまだ私にとって深く印象にのこっている記憶がある。それは、当時の教師によって物語られた「事実譚」である。
 今日はそれについて書くつもりで、ここまで書いてきたのだけど、いつものことながら前置きに字数と時間とエネルギーを費やしてしまった。そういうわけで、続きは後日に書くとして、少しだけ導入を。
 以下は、先にリンクした「生徒指導だより」からの引用。花見のさいの注意事項である。同様の通達は、私が中学生のときにもやはりあった。

○観桜会について


 4月20日(水)〜5月1日(日)、千秋公園で観桜会が行われます。様々な問題も予想されるため、本校でも放課後の巡回などを計画しておりますが、ご家庭でも次のことを確認し、ご協力くださるようにお願いいたします。


・中学生らしい服装と態度を常に心がける。
・外出時は,行き先,同行者,帰宅時間を家の人に伝える。
・一人で行動しない。
・夜桜見物は,必ず大人に同行してもらう。
・必要以外のお金は持たない。
・露天商の手伝いやまねごとは絶対にしない。
・酒気を帯びている人が多いので,そういう人には近づかない。
・人通りの少ないところへは行かない。
・危険を感じた時には,近くの人に助けをもとめる。
・他校生や卒業生とのトラブルを起こさない。


 おおむね趣旨はご理解できることと思いますが、「露天商の手伝いやまねごとは絶対しない」という指示の意味はなんだと思います? 「絶対」なんて強調されてるでしょ? これ、ただごとじゃないんですよ。
 すいません、思わせぶりで。ま、たいした話ではないんですけどね。なんちって。