よどみに浮ぶうたかた

 近所のスーパーが1軒つぶれていた。
 もともと私の家の近くには、100メートルにみたない間隔でスーパーが2軒、どうにか共存していた。そのあたりは、あまり昔のことは知らないのだけど、その2つの比較的新興のスーパーマーケットにおされる形で、かつて多くあったらしい個人商店が淘汰された跡のようである。すでに看板を下ろした、商店の残骸らしき木造の建物や、だいぶスペースの空いた月極駐車場が並んでいる。そんな歯の欠けたような街のなかに、客が入っているふうにはみえない写真屋惣菜屋、小僧寿司などがまばらに建ち、スーパーが2軒あったのだ。
 さて、数年前、私の住居からみて、その商店街と反対側に、高速道路のジャンクションの建設が始まった。ジャンクションの完成と貫通を待たずに、10階程度のマンションがいくつか建ち始め、とどめに、あの前民主党代表の一族が経営する巨大スーパーマーケット(「イオン」のことね)の店舗が、どーんとできた。
 ちなみに、イオンというのは、流通コスト削減のために、高速のジャンクション近くに出店する戦略をとっているらしいね。経済や経営のことに私はひどく暗いので、言わずもがな、あるいは見当外れなことを言っているかもしれないけど、彼らの事業には、町ごと再設計するような大きなプロジェクトの一環として、店舗を進出させるという発想があるんだろうと思われる。つまり、単にすでにできあがっている市場をターゲットに出店計画を立てるのではなく、都市部でも比較的人口のまばらな地域にマンション(=市場)とセットで店を送り込んでくるという発想。もちろん、イオン1社だけでそれができるわけではないから、建築会社なんかとも協力しているだろうし、背後には金融機関の意向が関係していたりもするんだろうけど。
 ともかく、イオンができて以降、案の定そちら方向の交通量が、目に見えて増え始めた。車の流れが大きく変わって、町全体の雰囲気が一変してしまった印象がある。古くからあったスーパーの客の入りも減った。くだんのスーパーは、そういうわけで店をたたまざるをえなかったのだろうと推測される。


 なんで、わざわざこんな今どきありふれた店舗どうしの競合と淘汰について語っているかというと、こうして商店が閉じたり、もっと言えば町の風景が変わっていくことに、私自身とくになにも「感じなくなっている」のではないか、という気がするからだ。そうは言っても、古きよき町が失われていくことにノスタルジーをおぼえたいわけではない。私自身、生まれたときからここに住んでいるわけではないし、自分のいま住んでいるところに懐古的な愛着などまったくない。
 スーパーが1軒つぶれたくらいで、近くにはまだ2軒あるし、コンビニもあるのだから、とりたてて不便になることはない。ただ、ささやかなことだけれど、こまごました雑貨などを買うのに、店がひとつ減ったぶん不便になるということはある。イオンを含めた3つのスーパーごとに、コーヒー豆はこっち、番茶はあっち、ひげ剃りはそっち、というように、たいしてこだわりがあるわけではないんだけど(こだわるならスーパーじゃなく専門店を使うわな)、買い物先のちょっとした使い分けをしていたわけで、その変更を迫られるのは、めんどうと言えばめんどう。
 でも、そんなことは、確かに「たいしたことではない」わけで、じきに何ごともなかったかのように、大げさに言えば「新しい状況」に適応してしまうのであろう。ただ、その「たいしたことではない」ということが、どうもやりきれない。いや、「やりきれない」と言えばやはり大げさにすぎるのであって、ただ、なにか違和感をおぼえるとしか言いようがない。


 いまや──というのはここ十何年かの光景だと思われるのだけど──コンビニが至近距離でつぶしあいを演じ、牛丼屋の真向かいに別の系列の牛丼店が出店してはどちらか一方がつぶれ、などという光景はきわめて「当たり前」になっている。ファミレスもしかり。そのことに対して、都市に住む人たちはちょっとした不便さを一時的に感じることはあるにせよ、数週間もすればそんな店があったことを思い出しすらしなくなる。まあ、たしかに記憶にとどめるほどの必要もないから思い出さなくなるのであって、実際、生活上も「たいしたことではない」のである、そんな店舗の消滅は。
 そうして、惜しまれることもなく、よどみに浮ぶうたかたのように、店舗が、あるいは町の風景が、かつ消えかつ結びて、というのをくり返しているのである。惜しまれもせずに、である。その消長は、「なんとこの世の無常なことよ」と嘆くのもバカバカしいほどに、「住人の生活」にとっては「たいしたことではない」。店だけでなく、人の世もまたしかり。
 こんな軽薄さにのっかって暮らしている私自身の軽薄な存在に、なんとも落ち着きの悪さを感じる今日この頃である。今そう感じているということすらも、たぶん1ヶ月もたてば忘れ去っているのだろう。
 だから、長々と駄文をこねて今の感慨を記録してみた次第。