アッケラカーのカーだよ、ケケケ

 ぶわっはっはっは。今日の仕事が終わった。「今日の」というか、昨日から20時間ほど、風呂入ったりバナナなどを口に入れるほかは、ほとんどぶっ通しで作業していたのだけど、やっと解放されたよ。うひひひ。
 そういうわけで、今、ひるの 12 時ですけどビール飲んでいるわけです。にゃはははは。
 僕の仕事は、勤務先で拘束される時間より自宅で作業する時間の方が長いのですけど、昨日からはずーっと自宅にこもりきりなものだから、ロックンローをかけっぱなしなわけです。昨晩はフランツ・フェルディナンドTOTO あたりを交互にかけていて、ま、フランツはむろんそうですけど、TOTO が状況次第ではあんがいアッパー系として作用することに気づいたのです。完全なるダウナーだと認識しておったんですけど、なんというか気持ちをハイにさす要素がありますなあ、と思った。
 座して聴くとき、たとえば、GEORGY PORGY という曲のボーカルから微妙に遅れて追いかけてくるように聞こえるピアノは、僕の焦燥感をかきたてる。
 I'LL BE OVER YOU の昔を回顧しているかのようなクソ・センチなメロディとエコーは、どうしようもない膜のようなもので僕のまわりを覆い、僕はその演出されちまったメランコリーに歓喜する。本当の悲しみでない悲しみに身体を開放する。それはなんと歓ばしいことか。
 そして、アッフリカーの、それ自体は退屈なリフレインへの、しかし度をこした強度をもった揺り戻しの作用。曲は、盛り上がりそうなところで、また盛り上がったところで、リフレインへと強迫的に回帰しつづける。一瞬の絶頂がまるでウソであったかのように。そこにこそ僕は生のしつこい強靱さをみる。
 さて、ビールを新たに調達して、映画でも観てこようかしら。ぬふぉふぉふぉ。


 そういえば TOTO のアッフリカーについては、以前こんなことを書いたことがあった。1年近く前やねん。多分にこじつけめいていて、しかもくらだない自意識が空転している赤面するしかない文章だけど、さらしてやる。死ねー、俺。ぶひひ。