アナム&マキ / 戦え!野良犬

 熟れたレモンはうまいんだろうか。
 われわれが食用にしている黄色いあれは、果実としてまだ熟しきっていないのでしょうね。レモンの側の戦略としては、「もうちょいしたら甘くなるから、そうなってからおいしく食ってクソして種まいてくれ」ってことだと思われる。ところが、人間どもときたら、まだ種もできていない、すっぱいうちに摘み取っちまうのである。
 つまり何が言いたいかというと、あんなにすっぱいものを食う人間はケッタイな動物なのであって、そうやって味覚を拡張してきた結果、はなはだしく雑食なのであろうなということである。




 感覚の拡張といえば、オーバードライブをかけた電気ギターの音を心地よく感じるのも、やはり拡張の結果なのであろう。オーバードライブといいますのは、電気ギターといえば多くの人がイメージするであろう、あのギューンとかザクザクとか、ひずんで、よく伸びる音のことである。
 あれは、アンプで入力と出力2つのボリュームの比率を調整することで作ることができる音なのだ。出力にたいして入力のボリュームを徐々に上げていくと、ペケペケテケテしたクリーンな音からだんだんひずみが強くなっていくわけだ。
 で、そういうふうにして音をひずませる、という発想は、電気ギターの発明当初には想定されていなかったらしい。誰かがやりだして、そのうちこりゃおもしろいということになって、今やひずませるのが当たり前となったと。
 しかし、かつてあの音は、慣れない人にとって不快なものであったようである。昔、ビートルズが「不良の音楽」などと年輩者から排斥されたのも、オーバードライブの音によるところも大きいのではないかと想像する。
 ともかく、不快な音とされていたものが、時を経てごくあたりまえのものとして、あるいは心地よい音として受容されるようになる(むろん不快な人には不快なんだろうけど)というのも、感覚が拡張されたと言ってよいように思う。




 それでアナマキさんたちのことですが、彼女たちはアコースティック・ギターで、エレキにおけるオーバードライブ革命にも相当する革新をなしとげた、と言ったら言いすぎかもしれないけれど、彼女たちの出す音が革新的だということは言えるのではないかと僕は思う。
 楽器の設計者が想定する範囲をこえているんじゃないかというくらいに、ガーン、強い音を出すんでございます。ギターになにか恨みでもあるのか、ぶっ壊すつもりなのか。
 「アコギの音ってナンカなごむよねー」などとジャスミンティーなんぞ楽しんでるヤツは、あたまかち割られるほどの衝撃を受けることうけあい。すかした態度とってると、かち割られるぞ、ほんとーに。ガーン!




 もうびっくりしますよ、彼女らの「戦え!野良犬」を聴けば。「やかましい」と思うほどの音をアコギで出せるとは思わなかった。未知の音と出会う楽しみというのは、いささか「やかましい」とも感じられた音が、聴きこんでいるうちにだんだん耳になじんでくる、という感覚の拡張していく過程にあると思う。
 また、たんに激しいだけでなく、まるでドラムスが作るようなグルーヴをギターで生み出しているのもすごい。「弦の振動」なんてなまやさしいものではない。ひっぱたかれた板がボワーンとたわみ、また戻ってくるような勢いがある。まさに、はずんでくる感じ。
 これは彼女らのデビュー曲なのですが、この曲がすばらしいのは、そういう激烈なギターと歌のあいだの緊張感。ギターは、歌のたんなる伴奏なんかではない。すこしでも歌の手を抜いたらたちまちギターに食われてしまうだろうし、ギターの力が落ちてもやはりバランスが崩れてしまうだろう。よく「初期衝動」なんてことを『ロッキング・オン』あたりが言ってますけど、そんな切迫した拮抗が伝わってくる。
 サビでの、曲への歌ののり具合も抜群。音数が過剰につめこまれた詞が、これまたみごとに切実さを生んでいる感じ。頭の方は自然に歌われるのだけど、尻尾で字余りが生じるように詞が組まれているのですね。尻尾で負債としてのこった過剰分をたたみかけるようにたたきつける。ギターはズドーン!
 歌とアコギを中心にした演奏でこれだけのパワーを見せつけられると、電気ギターなんぞに頼るのは軟弱もんじゃ、とも一瞬思う。電気ギター大好き人間としても。




 それにしても、なんでこの人たちはもっとメジャーにならないのかなあ。ソングライティングの才能も演奏も、抜群、超一級といって間違いないのに。チャーミングだし。○○○○とか○○○なんて目じゃないと思うんだけど。いいんですかね、これで。