チック

 病名というやつは、そうくくらなければ病気でないものを「病気」にしてしまう面はたしかにあるのであって、そういうカテゴライズする働きを医療の権力と言ったりすることもできるわけだけど、自分の癖とか傾向にすでに名前がついていることを知るのはちょっとした感動だったりもする。中学んときだったか高校のときだったか、「それ」が「チック」と名づけられているということを、ものの本か何かで知ったときは感心した。
 SHARP 社の電子辞書の『家庭の医学』で「チック」を引いてみると、

小児科で取り扱われる(小学校の児童に多い)病気ですが、時に青春期の成人にもみられます。不自然にまばたきをしたり、額にしわをよせたり、口をゆがめたり、せきばらい・ため息を連発したり、顔面・くび・肩・手などの不随意運動を頻繁にくり返します。一定期間は特定の運動パターンをくり返しますが、他の型へ変化することもあります。
(中略)
心身症の一つとも考えられ、こころの悩みや緊張・不安定さなどが身体症状となってあらわれるようです。本人の自主性を尊重する生活を工夫すると同時に、友人・家族などとのスキンシップを濃くしていく必要もあります。……


ということだそうだ。
 むむう。完全に子どもの病気として記述されている。30過ぎてもなおチック症状が出るのは、めずらしいんかしら。
 病というのは、それ自体に効用というか機能があるものだと思われる。チックの場合、その不随意運動(というんですか)によって、ストレスをいくぶんか解消する効果があるんだろうという気はする。一種の代償行動というやつなのでしょうかね。
 ところがやっかいなのは、そういう不随意運動の反復そのものがストレスになることだ。私の場合、いくつかチック的なパターン行動をもっていて、それは喉を鳴らす、首をカクンカクンする、顔をしかめる、などであるが、調子がわるいときにそれらのどれかが出る。まあ、症状としては軽いもので、人前に出るときは、みっともないと思うからやめる。やめようと思って抑えられている(自分でそう思っているだけかもしらんが)くらいだから、深刻ではないんだけど、チックというのはいやおうなく自覚されてしまうもので、それがストレスにはなる。
 石原慎太郎のまばたきやビートたけしの首を回すようなしぐさ、あれもチックだと見受けられる。おそらく、本人は自覚しているはずだけど、「やめようとしてもやめられない」のだろうか。むしろそういう「癖」として自覚しなおし、うまいこと和解して受け入れているんだろうか。
 そういえば、うちの親戚の飼っていた猫(見たのは子猫の頃で、その後は知らない)がけっこうひどいチックにかかっていた。しきりに首を後ろにそらすしぐさをくり返していて、やめられないようであった。猫にとって、完全に無自覚でやっているのか、それとも相応に自覚されていて「やめようとしてもやめられない」のかは明らかでないんだけど、こっちは擬人化して猫を見るものだから、後者ではないかと想像し、痛々しく感じてしまう。猫でもやはり、自分が意思に反して同じしぐさを強迫的に反復していることは自覚するんじゃないかと思う。
 チックとは別に、猫がしっぽをぱたぱた動かすあれは不随意運動だそうで、子猫なんかはそうやって動いている自分のしっぽに反射的に飛びかかろうとすることがあるものだけど、しだいに不随意運動をなすしっぽを「自分の身体」として認識するようになるようである。ということはしたがって、チックの猫もまた人間同様、意に随う「自分」の身体と意に随わない外の世界を区別したうえで、「自分の意に随わない」行動を「自分が」とってしまっていることを自覚しているのだ、と推測できる。猫もまた悲しからずや。