上の補記

 「言わんとするところ」が、文章にしたとたんに変質してしまう。もどかしいですわ。
 「意味不明」と口に出して言うことの問題は、ある種の「わかりやすさ」の問題でもあると考えて書き始めたのだけど。
 人は「意味不明」と言うにせよ「わかりやすい」と言うにせよ、よその人の顔色をうかがいながらそうするというところがあって、それが何とも気持ち悪いのである。
 引用した記事の筆者にしても、くだんの男の頭越しに、読者と結託して「ほら、意味不明だよね。おかしな人もいるもんですねえ。あはは」などと確認し合っているような様子が目に浮かんで気色悪い。「あはは」じゃねえよ。新聞記者が「意味不明」と言うということは、「取材していない」ということを意味するのであって、いばって言うことじゃねえぜよ。
 よく考えてみると、「わかりやすい」ってのもすんごく変な言葉であるよ。「(私は)わかった」と言うのなら私もわかる。ところが、「わかりやすい」っつうのは、誰にとって「わかりやすい」のでありますか。世間一般の人々にとって? 「わかりやすい」とか言うやつは、お前どこ見てそう言ってるんじゃい、そう疑問に思うのでありまする。まっすぐ見なさい、まっすぐ。
 そうやって語られる「意味不明」とか「わかりやすい」という言葉は、「理解」よりも、むしろ「政治」や「秩序」といったことがらに関係しているのではないだろうか。「みんな」が結託して「理解してよい言葉」と「理解すべきでない言葉」に世界を区分けしていくような、なんて言ったらあまりに大げさだけど。