「コエェ」の愉楽

 ようやく今週も終り。ああコエェ。
「コエェ」というのは、われらエゾの言葉でありまして、これをヤマトの言葉に翻訳いたしますれば「疲れた」となります。
 エゾ語の「コエェ」はヤマト語の「こわい」と類縁関係にあると思われますが、どうして「こわい」が「コエェ」に、もしくは「コエェ」が「こわい」にと転化したのでありましょうか。不思議な気持ちがいたします。ちなみに「こわい」というとき私どもは「コエー」と若干伸ばします。 
 「疲れた」という表現は、どこかしっくりこないところがある。それは「疲れた」が「た」という完了の助動詞を含むからではないかと思う。
 仕事にひと段落ついて「ああ、疲れた」と言う。このとき、「疲れた」の語は、自分の身体の状態というより、「疲れた」ことの原因たる「仕事」の方に向いているような気がする。「疲れた」という言葉は、「身体」という現在と、すでに完了した「仕事」という過去を切り離し、その後者の方を指し示す。むろん、「疲れる」は本来的に身体に向かう表現ではあるのだけど、「疲れた」と言うとき、この言葉は現在の生きられている身体を取り逃がしてしまっている感じがするのである。
 その点、「コエェ」はぴったりくるよ。「コエェ」は形容詞形で、身体の状態をストレートに指示しているように感じられる。疲れることはどちらかというとネガティブなことだけど、「コエェ」と言うとき、そこにささやかな心地よさが含まれていないこともないのさ。