北天佑

元大関北天佑の二十山勝彦さん死去(asahi.com)


 膵臓ガンで45歳。早すぎる。
 当時――というのは20年以上前――私の田舎では小学生の大多数が相撲少年かつ野球少年であった、ように思う。公園や校庭などで土俵がわりの線を引いて、同年代のガキどもと相撲にうち興じたものである。
 というふうに過去を振り返るオッサンの言説の大多数が嘘か誇張であるわけではありますが。「わんぱくだったオレ、そしてみんながそうだった」みたいな。嘘つけ。
 ともかく、相撲少年だった私にとって、北天佑関はヒーローであった。大関に昇進してからは、病気と怪我で成績がぱっとしなくなったが、豪快で力強い取り口は魅力的だった。
 取り口のほかに、ある力士を応援したくなる要素というのがあって、それは特定の相手にめっぽう強いということである。北天佑と同時代の力士で言えば、朝潮が全盛期のめちゃくちゃに強かった北の湖*1にしばしば土をつけていたように。
 その北の湖の弟弟子にあたる北天佑の場合、まず千代の富士にやたらと強かった。怪力で投げ飛ばし、吊り出し、寄り切るのであった。すごかった。
 また、快進撃を続けていた小錦が当初唯一勝てなかったのが、この北天佑であったと記憶する。そういえば、小錦のスピード昇進について、新聞の見出しなどでは「黒船襲来」なんぞという侮辱的で野蛮な表現をしていたものである。
 北天佑との対戦で明らかになったのが、その小錦が右だったか左だったか、どちらかから攻められると比較的もろいということだったように思う。記憶があやしいですが。で、北天佑は、小錦を得意としていたのだけど、たしか土俵際で小錦にどちらかの足に乗っかられて負傷し休場、ということがあったのではなかったかな。
 色白で美しかったし、そういう薄幸な感じも、ファン心を揺すぶるのでした。あふれんばかりの才能に恵まれながら、幸運に恵まれないという。しかし、45歳は若すぎるなあ。

*1:子どもたちの憎まれ役として「江川、ピーマン、北の湖」と言われたものであります。