Suede / Suede

 なつかしいのが中古で出てたので、買ってきた。'93年、Suede のファースト・アルバム。発表当時は友人の持ってるCDを聴いていて、自分では買わなかったのだけど、今あらためて聴いてみると名盤ですわ、これ。
 とりあえず、歌詞カード見ながら Brett Anderson を真似て熱唱したりしている(熱唱せずにはいられないのだ)。もちろんのこと、ファルセットでである。しかし、カラオケなどで私が歌ったら、きっと「キモイ」とか「イタい」とか「やめろ」とか「死ね」とか言われるのだ。こんどやってみよう。
 あからさまに自己陶酔をしている人を見て、私たち凡人どもは「キモイ」「イタい」などと言って嗤うものであるが、なぜブレットはそう言われないのであろうか。彼のナルシストぶりは明らかに度を越したものだが、なぜか隙がないのである。なんでだよ。
 高座でみずから笑いを漏らす落語家を見て、客は笑えないだろう。それと同様で、みずから陶酔しながら歌う歌い手に酔わされることはなさそうに思える。ところが実際のところ Suede の音楽には酔わずにはいられない。
 愚考するに、ボーカリストのタイプとして、「客に向かってまっすぐに働きかける人」と「客そっちのけで歌っているんだけど、マイワールドに客を引き込んでしまう人」の2通りあるのではないかと思う。先日とりあげたロッド・スチュアートやケリー・ジョーンズ(Stereophonics)、それからハード・ロックな人のほとんどは、前者にあたる。対して、後者の代表がモリッシー、そしてこのブレット・アンダーソンといったところ。ブレットの場合、聴く者はどうも真っ正面から彼に向かい合えないような感じがする。というか、われわれはその内向的な迫力に引き込まれて、彼に同一化させられてしまうのである。「オレ=ブレット」みたいな感じで。
 と書いてきたところで疑問に思うわけであるが、女性ファンはどういう聴き方をするんだろうか。ブレットは男/女という性別を超越しえているようにも思われるのだけど。いつかどっかでブレットのインタビューを読んだんだけど、彼が心底嫌っているのが、アクセル・ローズブライアン・アダムスなのだそうだ。「男根中心主義的なラブソングを歌いやがってこのマッチョ野郎」みたいな言い方で激しくののしっていたよ。たしかに、ブレットのボーカルはマッチョな要素がない。かといってフェミニンというのでもない。でも、すごくエロい。
 ところで、彼はもろにコックニー・イングリッシュなんだよね。でも、「荒々しいロックンロール」というのではなく、こういう言い方はよくないかもしれないが、いわば「知性的で品のよい音楽」として消費されているのだろうと思われる。労働者階級の言葉で歌われる歌がそういうふうに消費されているとしたら、それはすごいことじゃないだろうか。というのも、日本に置き換えるなら、たとえば東北言葉で歌われた歌が、「素朴」とか「純朴」といった要するに侮蔑の裏返しとしての賞賛を付されずに、あるいはコミック・ソングとしてでもなく受容され消費されるのは、ずいぶん先のことに思われるし、その頃には東北言葉は消滅しているだろうと思われるからである。英国のポピュラー音楽においては、そこにいたるまでの歴史的な蓄積というものがすでにあるのだなあ、と感心する。事情はよく分からないけど。
 それと、昔聴いたときはあまりぴんと来なかったのだけど、Bernard Buttler のギターがかっこいい。とんがったアルペジオ(というのも変な表現だが、実際エッジが効いているのだ)とカッティングに、ボーカルに寄り添うような甘いトーンの絶妙なクウォーター・チョーキングかましたりする単音プレイを混ぜて、聴く者をとろけさせるのである。また、サウンドも変幻自在で、2曲目の "Animal Nitrate" での演奏なんか、ギターなんだけどドアーズのオルガンを聴いているみたいな浮遊する感覚を味わうことができます。
 ついでに、YouTube にアップされていた、このアルバムの収録曲のPV2つにリンクしておく。こういうふうにリンクして紹介できると、もう文章は要らないのかもね。きっと、"Suede" とかで検索して来る人は、はなから読まずにリンク先に行ってしまうのだろうけど。バイバイ。


YouTube - Suede - So Young [1993]


YouTube - Suede - The Drowners UK [1992]