グロテスクなルール

 ひどい話ではあると思うのだけど、喜劇的だなあと思った。グロテスクなものを前にしたら、第三者としては、やはり笑ってしまうのだ。


「眉毛をそってるから」負け 鹿児島の中学総体(asahi.com)

 鹿児島県中学校総合体育大会バドミントン競技女子団体戦の準々決勝で、眉毛をそっていたことを理由に、試合に勝った生徒を負けたことにしていたことが28日、わかった。その結果、団体戦の勝敗も覆ったという。教育関係者からは「スポーツと生活指導を一緒にしている」と疑問の声があがっている。


 もちろん、「試合に勝った生徒を負けたことにしていた」という文には、朝日の記者のこの事件に批判的な見方があらわれている。「(本来は)試合に勝った生徒」を、「(不当にも)負けたことにしていた」というニュアンスが、この文には含まれるからである。
 一方の当事者である鹿児島県の中体連の側にしてみれば、この記事の言い分に対して、あるいは不満があるかもしれない。すなわち、「(本当は)勝った生徒を(無理やりの政治的介入によって)負けたことに」したのではなく、眉毛を剃った生徒はルール違反をしたから「負け」なのである、と。
 しかし、私は「勝った生徒を負けにし」たという記事を書いた記者の理解が妥当であろうと思う。
 この件における鹿児島県の中体連がとった措置のグロテスクさは、競技のルールに、それと本質的に異なる別種の「ルール」を接ぎ木しながら、おそらくそのおかしさに気づいていない、ということにある。
 競技にはそれを成り立たせるためのルールが不可欠であり、また審判が必要だ。そこでのルールは、あくまでも競技者どうしの公平性を保ち、両者を調停するという、水平的なルールである。この意味でのルールは、そのひとつひとつについて「なぜ必要なのか」の合理的な説明が可能であるし、ルールとして規定されていなければ競技の遂行に支障をきたすような種類のものである。
 ところが、「眉毛を剃ったら負け」という「ルール」は、合理的で説明可能なものとはとうてい言えない。これは競技者どうしを調停するための権威ではなく、たんに教育者と生徒の権威的な関係、上下関係を創出・保守するための「ルール」にすぎない。権威が手段ではなく、目的化するという転倒がここにある。
 こういった「ルール」に従うというのは、犬やオオカミが群れのなかで上位者にむかって腹を見せて服従の意思を示すのと同じである。要するに、中体連のジジイども(ババアもいるかもしらんが)は、女子中学生に向かって「眉毛を剃ったらオレたちへの反逆とみなす」と脅しをかけているのである。
 かくして、こんなものはルールとみなすべきでないのだが、中体連のジジイたちは、この垂直的な支配−従属関係にほかならないものを、水平的な関係であるかのように言い張る。「周りに不快感を与える」というおなじみの理屈によってである。「周り」って誰だよ? 「不快感」ってどんなだよ?

 県中体連は大会前に、髪を染めたり、眉をそったりするなど「周りに不快感を与える服装」をした場合は、出場を認めない場合もあると、各校に知らせていた。
(中略)
 県中体連の吉ケ島隆良会長(59)は「眉をそった生徒には、守るべきものがあるということを確認してほしかった。本人も認めており、人権侵害ではない」と話した。


 髪を染めたり眉毛を剃ったりしたからって「不快」に感じるのは、保守ジジイだけですよ。それによって「少女かくあるべし」という手前勝手な「美しい」理想像が傷つけられるんざましょ。県中体連会長の言う「守るべきもの」って、そういうもんじゃないのだろうか。だとしたら、ご愁傷様としか言いようがない。
 私が中学生の頃は、管理教育がまだ華やかなりし時代であった。生徒がささやかなおしゃれをすると、しばしば教師はなんと「色気づきやがって」と叱ったものである。この言葉が発せられるのは、たいがい女子生徒に対してであった。
 また、私が通った大学には教育学部の教員養成課程が設置されていたが、そこの教授には、学生がマニキュアをして授業に出ると怒る人がいると聞いた。「未来の教師がそんなことで生徒・児童に示しがつくのか」とのことらしい。アハハ。
 それはともかく、この「周りのお客様のご迷惑になりますので」式の口実で、しばしば「ルール」が立ち上がってしまうことに、私は苛立つのである。もちろん、それが実際に他人に「迷惑」であったり「不快」であったりするならば、ルールによって行為が規制されることに必ずしも文句はない。しかし、眉毛を剃ったぐらいで誰が「不快」に感じるのだろうか。かりに「不快」に感じる者がいるとして、それはルールで行動を規制するほどに深刻な「不快」なのだろうか。
 少なくともこの件に関しては、「ルール」を設定するほどの必然性はない。ジジババの子ども像や少女像を守りたいという欲望か、もしくは合理性のない「ルール」に服従させることで権力関係を作り出すという目的以上のものはないのである。それを、あたかも「周りに不快感を与える」という水平的な関係を調停する「ルール」であるかのように装うのは、ずるいよねと思う。
 それに、教育上もよろしくないんじゃないかしら。

 団体戦はダブルス、シングルス、ダブルスの計3回対戦し、先に2勝した方が勝ち進む。伊敷中が2―0で勝ったが、試合後、伊敷台中の選手が「眉毛をそっている生徒がいる」と県中体連側に訴えたという。