み・のもんた? みの・もんた? みのも・んた? みのもん・た?

 近所の60歳代とおぼしき女性、親切で人あたりのよいご婦人なのだが、気になることがある。その女性がときおりみせる表情に違和感をおぼえてしまうのである。人のカオ見て「違和感」などと言うのも、失礼な話ではあるけれど。
 彼女は困惑を示すときに、何というか、一種独特の表情をする。「独特」とは言っても、同じくらいの年代の女性がよく見せる、見慣れた表情でもある。なんでみんなあんな表情するのかな、と疑問に思っていたのである。
 どういう表情かというと、ちょうど適切な形容がわかったので、それについてはあとで書く。
 「まったく困ったわねえ」「困るのよ、ほんと」という気持ちを、直接の当事者にではなく、第三者に示すときに作る表情である。
 たとえば、しばらく前にうちの近所の家々を、下水道工事のインチキ業者が訪ねてきたときのこと。くだんの女性は、その業者には恐い顔をして「要らないから帰って」と追い返したのだが、ちょうど外に出ていた私には例の表情で話しかけてくるのである。「ああいうの、気をつけないとね。○○さん(近所のおばあさん)は、ナン十万もするふとんを売りつけられたんだって。あんたも注意しなさいよ」。
 こういうふうに、その表情は、困惑や嫌悪をもたらしている直接の相手に対してではなく、無関係の他者に向けられるもののようだ。それは、私の近所のおばさんだけでなく、同様のシチュエーションにおいて、50代から上の女性にしばしば見られる共通の表情のように思う。
 同じ表情は、その年代の女性が、たとえば悪辣または残虐な犯罪が報道されるなどして、「ひどいわねえ」「こわいわねえ」という感情を他者と共有しようとしているときにも、よく見られる。
 で、最初に書いた「違和感」とは何かというと、私はその表情に「作り物」のような感じをいだいてしまうのである。むろん、どんな表情であれ、半分は「作り物」なのであって、その独特の困惑の表情だけが「作り物」だと言うことはできない。しかし、あの表情に対してのみ、私は特別に「作り物」感をおぼえてしまうのである。なんでだろ?
 その謎がさっき解けました。そういうわけで、こうして深夜に長々と書いているのである。
 あの顔はね、みのもんたがよく見せる表情にそっくりなのですよ。つねづね私は――多くの人がそうだと思うけど――「みのもんたって、うさんくせえよなあ」と思っているので、彼が作るような表情を目にしたとき、「作り物」という印象をぬぐいがたいのである。
 なんか昼ごろやってるみのもんたの番組あるじゃん。健康法紹介したり、電話で人生相談受けたりするやつ。ほんであの番組、途中で2分か3分くらいの短いニュースがはさまるじゃん。そんとき、アナウンサーがニュース原稿読んで、みのもんたが横で突っ立ってんのよね。これ変だよなあと私は思うんだけど、ニュース読んでる最中に、たびたびカメラが、アナウンサーの横にいるみのもんたにの顔をアップで映し出すわけです。あんたの顔、ニュースと関係ねえじゃん。
 で、人殺しが人を殺したとか政治家が汚職やったとか、「悪いやつが悪いことして誰かが傷ついた」っていう事件が報道さるときに、アップで映されるみのもんたの表情。それが、一部の中高年の女性たちがしばしば見せる困惑の表情と同じなのである。大発見! 疑問氷解!
 誰も分かってくれないような気もするけど。だとしたら悲しい。
 ともかく、そういうことなんだと私は納得した。腑に落ちたのである。すなわち、みのもんたは鏡である。きっと、ブラウン管の前でみのもんたを見ている全国1千万の女性たちは、みのもんたがムスッと不機嫌そうな困ったような顔で映っているとき、同じ顔をして座っているにちがいない。
 他人の悲しいことや困ったことを知らされたり、悪い人が悪いことをしたのを聞いたら、こういう顔をしよう! こういう顔をするんですよ、お嬢さん! お嬢さんたちは、自身を画面に映ったみのもんたに投影する。彼女たちは、いま自身がしているであろう表情を、みのもんたに見ている。
 ケッ、ニュースと関係ねえじゃん、なんて思っていた私が浅はか*1であった。こういう使い方をされるのが、ニュース・ショーの本質なのだろう。
 しかし、ひとつ謎が解けると、新たに別の謎が浮かび上がってくるのがやっかいである。それは「みのもんたが先か? それとも、おばさんたちが先か?」という謎である。みのもんたの表情がみんなを感化しているのか、はたまた、みんなが作りがちな表情をみのもんたが巧みにも先回りして示しているのか? 
 答えはその中間にあるようにも思えるが、こういうことを考え始めると眠れなくなるから困る。

*1:「浅薄」と書いて「あさはか」とルビを振りたい。ルビを使えないのが、インターネット( HTML のせい?)の残念なところ。