ヤンキー哨戒機

 駅からの帰途、信号待ちをしていて、せわしない人を見た。30代と思われる男性。
 5、6人が信号の変わるのを待っていたのだが、この人はあっち向いたりこっち向いたりして落ち着かない。それもきょろきょろ首を動かしてあちこち見るのではなく、たえず歩きまわることで体の向きを変えるのである。横断歩道のほうを向いたり、反対を向いたり。同じく信号待ちをしている私とも、しばしば目が合うのだが、だからといって気にする様子もなく、あっちを向いたと思ったらまたこっちを向いて私と目を合わす。
 たんに落ち着きを欠いた人だとも考えられるが、もうひとつ私が考えた可能性は、この人は元ヤンキーなのではないかということだ。彼のしぐさを見て、中学時代に同級だったヤンキーくんたちを思い出したのである。この人は、中高時代に染まったヤンキー文化を脱色する機会を持たぬまま、歳をかさねてしまったのではないだろうか。まあ、手前勝手な想像にすぎませぬが。
 私が中学生だったのは、80年代の後半。この時代は、いわゆる校内暴力の問題がすでにほぼ収束した時期としてふつうは位置づけられるのだろう。だが、私が暮らしていた雪深いエミシの土地においては、当時まだヤンキー文化が色濃く残っていたし、学校側もこれに対抗していわゆる「管理教育」の体制を徹底的に敷いていた。
 今になって思うのは、級友間でのヤンキーによる権力発動の原理と、当時の管理教育下で教師が生徒に対して権力を発動する際の原理は、非常に似かよっていたということである。そんなことを、さっき横断歩道のせわしない人を見て考えた。
 中学に上がってまず困惑したことのひとつは、ヤンキーくんたち独特のふるまいであった。彼らのふるまい方は、小学校の社会になかったもので、その意味するところを私はしばらく理解できなかった。
 彼らは休み時間になると校内、教室内を闊歩しては、人の顔をじっと見てまわるのである。私はボーッとしたスットロイやつだったので、その行為の意味がわからなかった。それで、見つめられるたびに「え? なんか用あるの?」とばかりに、見つめ返していたのだった。
 たいがいはコトもなく相手は去っていったものだが、一度だけトラブルになりかけたことがあった。そう、たしか馬場くんという、よそのクラスの人だった。突然、その馬場くん――彼とはそれまでひと言の会話も交わしたことがなかった――に、私はインネンをつけられたのである。
「おめえ、なんでいつもガンつけてくんだ?」
 私にはまったく心あたりがない。むしろ、「ガンつけ」てくるとすれば、彼のほうだったのである。というか、私は入学したての当時、彼の言う「ガンつける」という言葉の意味すらよく知らなかった。
「おめえよ、みんなから目ぇ付けられてるぞ。生意気だって」
 私は依然事態がのみこめず、「なんで?」と聞き返したように思う。
 まあ、その馬場くんは突っ張ってはいたけれども、ヤンキー・グループのなかでは、どちらかというとヘタレの部類の人だったらしく、その場は大事にはいたらずにすんだ。最初はこわもてで近づいてきた彼も、話しているうちに軟化してきて、「おめえのクラスの○○っているよな。あいつイイ気になってるだろ。こんどヤキいれてやるべぇ」とか、世間話を始めるしまつ。私は標的から外れたみたい。よかったよかった。
 そのとき私が知らなかったのは、一方的に「見る」立場に立つことこそ支配することだ、という彼らの原理である。彼らと衝突したくなければ、見られたらただちに目をそらさなければならない。一方に「見る」者がいて、他方、彼らに「見られる」立場に甘んじる者がいる。そういった視線の非対称性として、権力関係は表象される。
 馬場くんについては後日談がある。当初ところかまわず威圧的な目を周囲にふり向けてきた彼は、数ヶ月たって決定的に権力闘争に敗北したようだった。以来、すっかり伏し目がちな男になってしまったのであった。
 さて、「見る」立場を一方的に独占することが相手を従属させることを意味する、という文法は、ヤンキーだけでなく、当時の教師にもまた共有されていたように思う。教師はしばしば生徒に向かって恫喝をかけるとき、「なんだその目は!」という言葉を吐くことがあった。最近の教師は、そういうことをあんまり言わないのではないだろうか。「なんだその目は!」という文句は、私の学校の教師たちが生徒を叱りとばすときの、いわば決まり文句とすら言ってよいものであった。
 とくに生徒を力でおさえつけようという傾向の強い教師ほど、生徒に「見られる」ことを好まなかった。というより、「見られる」ことを恐怖しているふしすらあった。級友の目からすればどうみても「反抗」の意思を持っているとは思えない生徒が、たんに教師を「見返した」という理由だけで、殴られ蹴られ、ぶっとばされることがたびたびあった。「その反抗的な態度はなんだ!」と。
 校内を徘徊しては威圧的な視線をふりまくのは、ヤンキーのみならず、教師たちもそうだった。思うに、あの時代の、服装や頭髪から廊下の歩き方にいたるまで、異常に事細かに記述された「校則」とは、視線の政治を作動させるための装置だったのではないだろうか。つまり、校則こそが、教師たちの「見る」「見張る」という行為に口実を与えていたのではないか、ということ。
 教師たちはうろうろと校内を歩きまわり、制服のスカート丈を、ズボンの「タック」の本数*1を、眉毛と前髪の距離を、学ランの裏地の色を、また靴のかかと*2を監視する神聖な職務を遂行する。きょろきょろじろじろ生徒たちを見回すのであった。「お前、前髪まゆにかかってんでねえか」。
 ところで、学校に何年何十年と勤務する教員たちが、こうした管理技術を開発し蓄積していたことは、不思議ではない。しかし、謎なのは、ヤンキーくんたちがいつどうやって、このような視線の政治学を学習したのだろうか、という点である。私はすっとろかったので、しばらく理解できなかったが、彼らは入学後またたく間にこの技術を体得していたように思う。小学校の社会にそんなものは存在しなかったのではなかったか。にもかかわらず、いつどこで彼らは理解し、習得したのか。
 『ビーバップ・ハイスクール』? あれにそんなこと書いてなかったよねえ。

*1:私の学校の校則では、たしか「ワンタック」まで可、「ツータック以上」は不可だった。

*2:かかとをつぶして履くのは校則違反!