触覚あるいはレーダー

 ベースの練習。
 始めてから1ヶ月ほど経ち、すこしはサマになってきたかも。いや、まだまだだけど。
 指で弾くのにもいくぶんか慣れてきて、力が抜けてきた。親指を「触覚」に使えるようになってきた。
 ギターなどをピックで弾く場合は、たぶん多くのギタリストはそうしていると思うのだけど、小指を「触覚」として使う。どういうことかというと、小指を軽く楽器のボディや弾かない弦に当てるようにするのである。こうすることによって、手に持ったピックと弾くべき弦の位置関係が分かり、手元を見ることなく弦を弾くことができるわけである。こうしてギター弾きの小指は、位置を探知する触覚、さらにたとえるならば「レーダー」として機能するのだ。
 昔、初心者ギタリストだった頃、弦を1本ずつ弾くとき、私は手のひらの付け根をボディにくっつけていた。たしかに、こうすると右手が安定するのだ。しかし、このフォームでは手首が固定され、動きの自由が制約されてしまう。手首や肘の可動域を広く保つ一方で、なおかつ不安定さをなるべく排除したい。この相反する2つの条件を充たすのに、小指を「触覚」に使うのは合理的だ。これによって、手首が浮くので、その動きがだいぶ自由になり、柔軟に動かせる。しかも、小指によって右手の位置関係がつねに探知されているので、弾こうとする弦に正確にピックを当てることができ、安心である。
 このことに気づいたのが、ギターを始めてから1年くらいしてからだっただろうか。「気づいた」とは言っても、誰かがそうやって弾いているのを見て解ったのだけど。
 ベースでは、小指のかわりに親指を「触覚」にするとよいらしい。4本あるうちのどの弦を弾くのかに応じて、親指の指先を「触覚」として3弦の上に置いたり、4弦にのせたり、ピックアップ*1に触れたりするのである。昔、ギターでたどったプロセスを、いまベースにおいてもなぞっているようで、こういう「やりなおし」みたいなのって楽しい。
 それにしても、こうやって「意識」しているうちというのは、まともに弾けていないということなのだ。親指レーダーの位置を意識したり、「次の小節はウラから入るので中指からだ」などと頭で考えたりしているのだから、テンポを一定させたり音の伸ばし加減を調整したりということはおろそかになる。
 だから、修練というのは、意識から身体を消し去ることを目指すものと言える。それは原理的には身体が透明になったときに完成されるはずのものだけれど、それはいわば阿呆になるということで、阿呆にならないかぎり身体は「意識に従わぬもの」としてまた顕われてくるはずであり、修練はあらためてそれを消去しようとする、という果てしない道を僕はいま歩きだしたんだね、父さん。




 ところで、最近、東京事変よく聴いてるんだけど、ベースもチョーカッコイー。



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 なんでユーミンのダンナがベース弾いてるんだろ。と思ってたんだけど、この人は松任谷さんではなく、亀田誠治さんというチョー有名なベーシストらしい。

*1:音を拾うためのマイクの働きをする部品