それはあなたがたが歳をとったからではないでしょうか

没後15年尾崎はどこへ 消えた反抗心(キャッシュ)

 尾崎の歌が、いくつかの倫理の教科書に登場したのは03年。堀さんはその少し前から、積極的に尾崎の考え方を授業で採り上げてきたが、最近は減らしている。「彼の歌に生徒たちが実感を持てなくなってきた」のが理由だ。
 「学生の反応は年を追うごとに悪くなっている」と精神科医香山リカさん(46)も言う。00年ごろから大学の授業で「卒業」などを聴かせている。当初から「この怒りがどこから来ているか分からない」という意見はあったが、最近はきっぱりと否定的な感想が目立つという。
(asahi.com)


 00年から7年経っているということは、たしかにこの間に世相や若者のありようの変化もあるかもしれないけれど、この堀さんや香山さんも7つ歳をとったということである。歳を重ねるにしたがって、年少者の目に映る「大人」の部分は増えていくのであって、30代より40代、40代より50代は余計に「大人」とみなされる。と、そういうことではないのかしら。わからないけど。いまどきの若者にとっての「反抗心」が向けられる対象(香山さん言うところの「成長のプロセスにおける仮想敵」)があるとしたら、すでに両先生ご自身がそれなのではないのだろうか。
 それにしても、「大人」からお膳立てされて、しかも授業で(「倫理」だってよ!)尾崎豊を聞かされるって、そりゃちょっとたまんない時間じゃないかなあ。聞かされる「子ども」のほうが、歌の青臭さにおもはゆくなっちまうような気がする。
 「大人」が子どもっぽい時代の「子ども」は、「バイクを盗んだり学校の窓ガラスを割るのは、他人に迷惑をかけるので、やめたほうがいいです」なんて薄気味の悪いことを言わざるをえないのかもしれない。
 だからといって、大人たるもの子どもには抑圧的にふるまわねばならぬ、などと言われるのも嫌だけど。「毅然とした態度!」みたいなことを言って大人ぶるのは、安倍晋三みたいなもので、みっともないことこのうえない。
 「大人になる」ことや「大人である」ことは、困難であるよ。