Stereophonics――壊れかけのレディオのような
Just Enough Education to Perform
- アーティスト: ステレオフォニックス
- 出版社/メーカー: V2レコーズジャパン/コロムビアミュージックエンタテインメント
- 発売日: 2001/03/28
- メディア: CD
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ひさしぶりに Stereophonics を引っ張りだして聴いている。
すごいボーカルだなあと、あらためて感じ入る。りきむわけでもなくダルそうに歌っても、声の厚みから来る迫力がある。
歌手というのは、楽器を演奏する人いじょうに強烈なナルシシズムを要求されるように思う。演奏者はみずから操る楽器の美質を熟知したうえで、これを最大限に引き出すべくつとめなければならないわけであるが、歌手の場合その楽器とはみずからの声なのである。悲しいことに満足に歌うことのできない私にとって、すぐれた歌い手が自身の声にいだいているようにみえる絶対的な自信は、痛切にうらやましい。自分の声をこころよさげに誇示できることに対してである。
とはいえ、たんなる自分大好き勘違いナルシスト野郎ではイカンのであって、みずからの持つ美質を把握しコントロールするための冷めたアタマがなければならんのだと思われる。
Kelly Jones(というのがこのバンドのボーカリストにしてギタリスト、かつほとんどの曲を書いている人の名である)は、かすれた声を――おそらくは意識的に――出し入れする歌い方をしている。おのれのかすれ声が聴衆に訴求すること比類なきキラー・ボイスであることを、自覚しているのである、このにいちゃんは。なんたるイヤなやつ!
まさに出し入れしやがるのである。比較的透き通った発声から入ったと思いきや、その発声の途中からかすれさす。あるいは逆に、かすれ声から入って、徐々に濁りを除いて澄んだ声に転じさす、などということも実に効果的にやってのける。わざとやってやがんな、このナルシスト野郎。
澄んだ声は喉の奥のほうから飛んでくるように聞こえるのに対し、かすれた声はもっとの先っぽのほうでひっかかるようにして発せられるように聞こえる。こうした源を異にするふたつの声が、頻繁に入れ替わるようにしてあらわれるさまは、ゆらゆらとフェイズが切り替わるようでもあり、左右ふたつのスピーカーに交互に音をふったときのような趣もすこしあり、軽く心地よい酔いをもたらす。あるいは、接触のわるい導線を通って出てくる音のような、電波の入りの悪いラジオから流れてくる音声のような、不安定だけれど暖かいノイズを含んだ声。
こういう表現がほめ言葉になるのかどうか知らないけれど、エレクトリック・ギターのようなボーカルである。あるいは、古びた性能のわるいラジオのような。電気的でありながら、その電気的な感じがかえって「人間的」に感じられてしまう、というのは聴き手の側の身体にテクノロジーがすでに深く浸透しているということでもあるのだろうけれど。
以下、参考動画。
●YouTube - Stereophonics - Nice to be out
つぎのは Beatles の "I'm Only Sleeping" を Oasis といっしょにカバーしたもの。
ずったんずったんいう、ふざけた感じに軽薄なドラムスもおもしろい。なんか最初の方で顔の長いおっさんが2回アップで映ってるけど、この人 Ron Wood 先生(Rolling Stones のギタリスト)じゃありませんか。
●YouTube - Stereophonics with Oasis - I'm Only Sleeping
ついでにもうひとつ。ロケンローなオリジナル曲&これまた Beatles のカバー。
●YouTube - Stereophonics - Vegas Two Times & Don't Let Me Down