公営住宅増やせばこの世は天国?

 あ〜、疲れたよ。仕事でくたびれるといつも頭に浮かんでくる妄想があって、それをちょいと酔った勢いでテキトーに書いてみる。
 その妄想というのは、家賃が高いのは資本家どもの陰謀なのではないか、社会主義政権*1を樹立して公営住宅をバンバン建てれば、われわれは現状よりずーっと豊かで楽ちんな暮らしができるのではないか、ということだ。
 というのも、なんで自分が牛馬のごとく働いてるんだよ、と自問するに、住居を確保するためという理由が、結局のところかなり大きな部分を占めるように思うからである。もっとも、私はボロ家ではあれ、家賃に関しては格安のところに住むことができているのであり、今までのところ、家賃を滞納せざるをえないという状況には幸運にもおちいらずに済んでいる。しかし、そうはいっても、今後もし収入が激減したり、あるいはゼロになったりした場合に、何が怖いかといえば、住んでいるところを追い出されることである。
 ぎりぎりなんとかメシを食っていくというだけなら、日雇いの仕事をたまに見つけるなり、友達か兄弟にたかるなりすれば、なんとかならないでもない、とも思う。でも、家賃を払い続けるためには、定期的な収入が一定程度必要なのである。この「定期的」というやつがクセモノで、こいつはいったん切れると住むところを追い出されてしまうわけである。そうしていったん住むところを失ったら、だれかの家に転がり込むのも気まずいし、仕事を得るのも格段に難しくなるだろうということは予想される。
 現に、そんなふうに家を失って苦労している人は、路上に、また深夜のマンガ喫茶等で大勢目にするわけで、かれらのためだけでも、敷金・礼金も要らぬ無料のもしくは格安の公営住宅をバシバシ建てればいいじゃないか、いくら財政事情が厳しいといってもそれぐらいそう難しいことではないだろうが、と認識が甘いかもしれないが思うのである。
 現時点でたまたま住むところを確保できている人間にとっても、「いざとなったら敷金・礼金も保証人も不要で安い(できるならタダで)、しかも追い出すなんて無慈悲なことをしない公営住宅がある」という安心感をもてるなら、それだけで生活や労働におけるストレスの大部分がなくなるんじゃないかしら。だいたい、なんで俺は週に6日も働かなきゃならんのだ。そんなに俺のやってる仕事は重要なのか。サービス業なんてほとんどは、ほんらい需要のないところに需要を「創出」することで成り立っているようなものなのだから、産業規模が3分の1くらいに縮小しても困る人はいないんじゃないの。と自分の仕事を振り返って考えるに、思うのである。
 住居に関して、現在および将来の不安が解消されるなら、私は週に2,3日しか働かないと思う。それはすばらしいことではないだろうか。べつに食い物や着るものにぜいたくしようとは思わない。読みたい本が読めて、あとはギターでも弾いて暮らせれば、私は満足できるのだ。くそったれ家賃の心配さえなければ、週休4日とか5日でも一人暮らしの自分の生活ぐらいなんとかなりそうだし、少しの時期だけもうちょいがんばって仕事して貯蓄さえしておけば、失業しても当面なんとかなるさ、というゆったりした気構えでいられるんだけどなあ*2
 ものの本によると、70年代末だか80年代だかに英国のマーガレット・サッチャー公営住宅の民営化を打ち出したとき、労働者階級の多くがこれを歓迎したのだそうだ。これでわれわれも持ち家を「所有」する道が開かれる、と。ところが、彼らがそう期待したのもつかの間のこと、民営化された公営住宅は投機バブルを生み、たちまち価格が高騰してとうてい労働者の手が届かないしろものになってしまったんだそうな。
 「所有」の夢というのは、たしかに甘美なものではあるのだろう。私の祖父母は熱心な自民党支持者なのだけど、90歳を越した彼らがいまだに言うのが、「自民党は農地解放をやってくださった*3。あのおっそろしい共産党が政権をとったら財産みんな持ってかれるんだからねぇ」ということである。しかし、私が思うに、彼らはささやかな土地に広いとは言えない家を「所有」しているけれど、もしかわりに公営住宅に入居できて、そのぶん労働を減らすなり、家を買うのと別の用途(飲み食いとか旅行とか)に収入をまわすなりすれば、もっと安楽な生活ができたんじゃないかなあ、と見えるのである。
 家であれ自動車であれ洗濯機であれカラーテレビであれ、そういった財を「所有」するという夢は、そうしたい人はそうすればいいと思うけれど、資本家が労働者を、あるいは国家が国民を、必要以上に労働に縛りつけるための「飴」でありかつ「鞭」として機能してきたのではないのか。これらはどれも、べつに「共有」でもいいけどなあ、と思う。テレビなんてぜんぜん要らんし。
 そもそも、一軒家なりマンションなりを「所有」しようと思ったらローンを組まねばならず今以上に労働に縛られることになるのであって、それは嫌だから今後も賃貸住宅に住み続けることになるのだろうが、とすると俺は家主のババアの不労所得のために毎月毎月家賃を払わなければならないわけで、そのために毎日毎日働かねばならず、大好きなギターを弾く時間も十分にとれず、バンドのベースの練習もおろそかになり、仲間には、ごめんね最近仕事忙しくってさ、などと言い訳しなければならんのである。
 もはや私にとって何であれ「所有」することが輝かしいとも思えず、むしろなにも「所有」せずにも暮らしていける世の中がいいなあ、と夢見ているのである。だから、政府は公営住宅ばりばり建ててけろ、がんがん公共投資して建設業者をうるおわせばいいじゃん、票にもなるだろうし、と思う。そのぶん雇用だって増えるし、儲かった業者は絢爛豪華な邸を「所有」し、おねえちゃんのいる店でドンペリ(って飲んだことないけど美味いの? 俺はキリンラガーでいいからさ)バンバン空けてドンチャン騒ぎすりゃいいじゃないの。だから、公営住宅どんどん建ててけろ。財源が足りないんなら、自衛隊と入国管理局と公安警察は廃止してかまわないからさ。ついでに思いやり予算もカット。オリンピックなんて誘致しなくていい。そのぶん、公共の住宅を増やしてくれよ。貧困の問題が軽減されれば、犯罪だって減るだろうから、警察や刑務所の予算だって大幅に削減できるかもしれないし。
 昨今、「格差社会」なんてことが言われ、その背景として雇用の不安定化が問題とされることが多いように見受けられる。しかし、思うに、正規雇用でなくても月に何日か働けば、あるいは1日も働かないでも、なんとか暮らしていける社会こそ望ましいんじゃないだろうか。「格差」自体についても、べつにバリバリ働きたい人が大金儲けるのはいいよ、と思う。「格差」よりも「貧困」が問題なのであって、国民もそうじゃない人もふくめて生存権が保障されることこそが重要なような気がする。そのためには、雇用の問題も大切だろうけれど、なにより「住宅不安」を解消することじゃないのかしらね。現状で必要とされる所得よりずっと少ない収入でも月々の生活はなんとかなり、また将来のすくなくとも住むところの不安だけは考えずにいられる、というハード面での整備さえできれば、その他の福祉の支出だって抑えられるだろうし。政策的にそんな難しいことではないと思うんだけどなあ。考えが浅いからそんなこと思うのかもしれないけどさ。

*1:どういうこった? ジャストシステム社の ATOK は「社会主義」を変換できなかったぞ! これも資本家の陰謀かよオイ?

*2:かりにそういう暮らしが、どこか別の地域の人々の貧困を土台にして可能になるのであれば、それはやはり肯定するわけにはいかないけれど。

*3:ホントは自民党というより GHQ なんだけどね