右見ても左見ても私有地ばかり

 夜も遅めのファミレス、というのがけっこう好きだったりする。逸脱的かつ、いささか威嚇的ないでたちの、明らかに10代の子たちがタバコ吸いながらくだらないおしゃべりを延々と続けていたり、ワケアリな感じのカップルが「来週の日曜はダメなの? じゃあそのつぎの週は?」みたいな会話してたりするのも微笑ましい。
 深夜のコンビニの駐車場や夏なんかだと近所の公園にも、つっぱった感じの子たちがた溜まってたりする。せつなくもの哀しくもある風景。
 よく夜中に利用する24時間営業のファミレスに、「長時間の滞在、勉強、仮眠等飲食以外のご利用はお断りいたします」といった意味の貼り紙がしてあった。
 考えてみれば、家と職場以外にだらだらと過ごせるような場所は、どんどんなくなっているような気がする。見わたせばどこも私有地ばかりで、所有者とやらがおのれの所有を主張している。街を歩けば、いくばくかの金を払わなければならない場所ばかりで、金のない人間がたむろする場所といったら、ファミレスやハンバーガー屋や200円ぐらいでコーヒーを飲める喫茶店ぐらいのものだが、そういう店も先に述べたような貼り紙をするところが多くなった。もっと金のない人間は、郊外型の巨大スーパーのだだっ広い駐車場やコンビニの前でグダグダしていたりする。公園ですら、「公」という文字を裏切るように――悪知恵の働くやつもいるものだ――ベンチが横たわれないよう、鉄の棒で仕切られていたりする。どこで寝たらいいというのか。
 私が昔いた大学は、いま思えば奇跡的に牧歌的な――あるいは「管理の甘い」――ところで、なんか職と住むところを失った卒業生が研究室に住みついていたり、プレハブのサークル小屋の一室がとっくの昔に卒業か中退かしたはずのアングラ劇団の終わりなき旅の停泊所のひとつになっていたりしたものだ。そういう居心地のよい空間だった。けれど、研究室の建物にはいつかカードキーが導入されて、申請の書類を提出して認められた学生以外は締め出されるようになり、サークル小屋は取り壊されて「サークル会館」などという、夜になると閉まるしゃらくさい建物が建ったようである。あのとき私はなにも闘うことをしなかった。悔いに残ることだ。
 あの劇団、というか旅芸人たちはどこに行ったのだろうか。達者でやっているだろうか。
 金を払う必要のない「公」のたむろ場所は、街のどこにもない。都心でも郊外でも、どこかにスラムを作りたい。どっかに荒れ果てて人の住まなくなったビルヂングなんかないものかね。