武器はしまっておいてよ

 北米のあるインディアンの部族は、他部族との戦争が終わると武器を地中に埋めて隠しだのだとか。
 武器、または刃物などの潜在的に武器として機能しうる道具は、身から周到に遠ざけておくというのは、私たちだって身内どうしの殺し合いを避けるための知恵として実践している。たとえば、包丁を台所から持ちだすのはタブーであって、使わないときはしまっておく。また、カッターナイフなようなものであれ、刃物を居間のテーブルの上に不用意に放置しておくなんてことは普通しない。それは何か不吉だということを私たちは直観的に知っているからだ。
 人が寄れば、いさかいの種なんて山ほどあるのであって、激情に駆られて相手を殺傷する危険はそこいら辺にゴロゴロ転がっている。刃物がすぐ届くところにあったなら、殺すか殺されるかしていたかもしれない、という可能性は、わが身をふりかえってみると、けっこうあったと思う。
 暴力はそうそうコントロールできるものでない。だから、私たちにできるのは、それが致命的な結果につながらないよう、武器をできるだけ遠ざけておくことぐらいだ。と思うのだけど、野蛮人はそうは考えないようである。
 江戸時代がどんな社会であったのか、よくは知らないけれど、一部の者が帯刀して街なかを闊歩していたなどという話を聞くと、とても正気の沙汰とは思えない。特権階級が武装し、他を威圧することで、平和なり秩序なりが保たれるということはあるのだろうか。あるのかもしれないけれど、それは野蛮なことだと思わずにはいられない。


asahi.com:武装自衛官、商店街をパレード 長崎・佐世保(→cache)

 長崎県佐世保市の中心部にあるアーケード街で20日、自動小銃軽機関銃を携えた迷彩服姿の陸上自衛隊員約180人がパレードした。同市にある相浦駐屯地の創立記念行事の一環で、商店街での武装行進は05年以来2回目。労組などからは「軍事行動を誇示し、市民生活を威圧するものだ」という批判も出た。
(中略)
 パレードは同連隊創設直後の02年に始まったが、その時は武器は携行しなかった。しかし、03年から「陸自の真の姿を見てもらい、理解と信頼を深めたい」と近くの国道を武装して行進するようになり、05年に商店街に場所を移した。


 銃を見せつけておきながら、住民の「理解と信頼を深めたい」などと言ってるのには、あきれるほかないが、案外深まっちゃったりしてるんだろうか、「理解と信頼」が。
 なるほど、自衛官というのはそれぞれが武器を扱うエキスパートであろうし、組織としてもみずからの武力を制御するためのセーフティー・ロックを何重にもかけているのではあろう。
 それでも、武力をおおぴっらに見せつけられていい気持ちはしないし、そのことに違和感を持たない住民も多いのだろうということを考えると、不気味だ。こういうのに怖れを抱く感覚というのは、あんまり共有されていないものなのかしらね。なんとも言い難いんだけど、タブーを侵犯してるって感じは強くするよ。
 いまのビルマやかつての天安門のような事態が、日本で起きないっていう保証は何もないんじゃないのかな。武器と武装集団を生活の場所から用心深く遠ざけておかないかぎりは。
 考えすぎだろうか。