良心的徴裁拒否

 不勉強なもので、これまであまり関心を持ってこなかったんだけど、裁判員制度っていうの、これすげえヤバイじゃん。こまるよ、おれ。
 刑事事件の裁判に、抽選で選ばれた国民がむりやり徴用されて、裁判への参加を――しかも裁く側として――強制されるんだそうだ。


今井亮一の交通違反バカ一代!: 裁判員制度は なぜ導入されるのですか?

 てか、刑事裁判よりは、国賠(国家賠償請求訴訟)にこそ、国民を参加させればいいじゃん、ねぇ。


 だけど、私のその考えは、ある意味、根本的に誤ってるんだよね。
 国がつくったパンフ、最高裁法務省のサイト、どこを見ても、「冤罪をなくすため」とは書かれていない。「裁判を公正なものとするため」とも、一言半句も書かれてないよ。
 だって、国にとっては、冤罪などない(再審で無罪になればそれは冤罪ではない)し、裁判はすでに十二分に公正なのだから。
 じゃあ、裁判員制度をなんで導入するのか。国民に多大な負担をかけ、その負担を軽くするためだといって公判前整理手続きなるもの(前述)を設けてまで。膨大な税金を費消してまで。なんで裁判員制度なのか。
 ま、機会があったら、国がつくったパンフ等、見てみてください。え〜っ!? そんなぼんやり漠然としたことのために!? って腰を抜かすんじゃない? 私は腰を抜かしたっス。
裁判員制度は なぜ導入されるのですか?」
 この文言で検索をかければ、すぐわかるです。


 そういうわけで、検索をかけてみた。以下、「なぜ導入されるのか?」についての熊本地検の説明。


熊本地検 裁判員制度Q&A

 国民のみなさんが裁判に参加することによって,法律の専門家ではない人たちの感覚が裁判の内容に反映されることになります。その結果,裁判が身近になり,国民のみなさんの司法に対する理解と信頼が深まることが期待されています。


 素人の「下手人め、許せん!」といった「感覚」が裁判に反映されるなんて、かりに自分が裁かれる側にまわったときのことを考えるなら、たまったもんじゃないなあ。そんな裁きに参加するのもごめんである。
 この熊本地検のQ&Aのページには、さすが検察のサイトだけあって、裁判の「公正」や「公平」という語はたったの1度しか出てこない。その「たった1度」の例外が、裁判員の「欠格事由」の項である。「裁判所が不公平な裁判をするおそれがあると認める人」は裁判員になれない、とのこと。
 つまり、裁判が公平に行われているかどうかは、外部のチェックによって判断されることがらではなく、裁判所自身が判断するのだ、と。したがって、熊本地検の考える裁判員制度とは、国民に裁判への加担を強要しながら、まさにその国民の「司法に対する理解と信頼」を一方的に要求するという性質のものであることが分かる。彼らにしてみれば、「つべこべ言わずにオレたちに理解と信頼を寄せろ!」と言いたいわけだ。
 私は日本国の司法に対して理解と信頼をするつもりはまったくない。わたくしは、「やねごん民主主義人民共和国」(現時点では国民は私ひとりしかいないのであるが)の大統領の職にある者であるが、わが共和国は侵略国家日本国の主権を承認していないのである。日本国政府は勝手に私を「日本国民」とみなしているようで、選挙のたびに案内を送りつけてくるし(要らないのに)、5年に1度、国勢調査なるものに協力しろとか言ってくる(もちろん、いつも書面に嘘っぱちの口からでまかせを書いて提出している)のだが、私自身は日本国の統治を承認したおぼえはないのである。したがって、私がその正当性を認めていない日本国の法律にのっとって、日本国の司法に裁く側として加担するなどということは、とうてい考えられない。
 そういうわけで、もし裁判員制度が実施され、不運にも抽選に当たってしまった場合は、私は裁判員になることを拒否いたしますことを、ここに誓います。いや、マジで。
 だいたいね、先の熊本地検のサイトは、以下のように書いているが、笑止千万である。

Q2 裁判員が参加するのは,どのような事件ですか?


A2 代表的な例をあげると,次のような場合があります。
(1)人を殺した場合(殺人)
(2)強盗が,人にけがをさせ,あるいは,死亡させた場合(強盗致死傷)
(3)人にけがをさせ,その結果,死亡させた場合(傷害致死
(4)ひどく酒に酔った状態で,自動車を運転して人をひき,死亡させた場合(危険運転致死)
(5)人が住んでいる家に放火した場合(現住建造物等放火)
(6)身の代金を取る目的で,人を誘拐した場合(身の代金目的誘拐)
(7)子供に食事を与えず,放置して,死亡させた場合(保護責任者遺棄致死)


 (1)(2)(3)は、日本国政府の司法機関が常時直接やってることだし、また同盟国のイラク等でのそれを支援しているという点で、お前らに殺人や強盗を裁く権利なんてないっつうの。(5)は、放火まではしないまでも、現に日本国の役人は野宿者の住居を破壊して追い出したり、空港建設などを名目に先住民の土地を侵略して立ち退かせたりしてるのである。(6)は、日本国政府が「義務教育」の名のもとに行っていることにほかならないわな。(7)もまさに、日本国政府とその傘下の地方政府がみずからの国民に対してやってる仕打ちである。
 上で今井亮一さんが書いているように、国家賠償請求訴訟にこそ国民を参加させればよいし、本来それが筋だと思う。
 まあ、一つだけ確実に言えることがあるとするならば、魚肉ソーセージはつまみとして案外なかなかどうして、すぐれものである、ということだ。不覚にも今日の今日まで気づかなかったよ。あわてて頬ばったりすると、ぐにゃぐにゃした歯触りが口のなかいっぱいに広がって気色悪いけれど、ちびちび囓ってるとけっこういける。少しずつ食うのがコツである。