青い月曜日

 石ノ森章太郎さんの『サイボーグ009』を読んだりしてぐたぐたしてたら、朝になってしまいました。
 加速装置、とてもほしい、いいなあと思いました。加速装置というのは、009というサイボーグのからだにうめこまれていて、原理はよくわからんのですが、スイッチいれると、運動能力が加速されますと同時に、認識能力も加速されますです。つまり、じぶんが速く動けるだけでなく、まわりの動きがゆっくりとみえるんです。
 でもこれ、事務系の仕事のひとたちには役にたちませんね、たぶん。どうせ時間で拘束されてるんですから、はやく仕事がおわっちゃったら、べつの仕事をおしつけられるだけでしょうし、そうでなくてもまわりの目をきにしてなんかはたらいているフリをしなければならんだろうから。
 接客業なんかのひとにも、つかいみちがなさそうです。お客がついてこれないくらい早口になっちゃいますから。
 ドライバーの役にもたたない、というか、自動車を運転するのにこんなのがついてたら、たまったもんじゃないですね。認識能力が加速されるということは、すいている道路をとばしてても、本人にとってはノロノロ走ってるようなものですから、いつになったら目的地につくのかわかったもんじゃありません。
 ブルジョアジーのひとたちは、労働者のからだにとりつけたいでしょうね。生産性がアップすると、かれら得しますから。ああ、生産性の向上がほんのひとにぎりの人間にとってのみ利益になる、というのはゆがんだ社会だよね。
 加速装置をじぶんのからだにとりつけると、たいていの労働者は損するばかりか、えらいめにあうとおもわれます。でも、労働者のなかにはライフハックの本やサイトを読んで、どうやったらじぶんの仕事の能率があがるか、なんてことをまじめに考えたりしているひともいるようです。そうじゃなくても、労働者はみなじぶんの仕事の能率を向上させるための「努力」をしいられています。
 仕事の能率があがった結果、余暇がふえてじぶんのしたいこと(昼寝するとか好きな音楽をきくとか)にもっとおおくの時間をさけるようになれば、それでいいんですけどねえ。でも、たいがいそうはならずに、あいた時間は、かならずしもやりたいわけでない仕事でうめられていき、仕事をこなせばこなすほどいそがしくなる、という地獄がまっているのでしょう。
 いわばこれが資本主義のこんぽんむじゅんっていうやつなんじゃないかとおもいます。加速装置はじぶんでスイッチをいれたり切ったりできるから有用なのですが、他者との「競争」をしいられたわたしらは、スイッチをオフにしたいときに勝手にそうすることを禁じられているわけです。他人をだしぬくか、そこまでしなくても「ひとなみ」の能率ではたらくか、そうしないとめしを食いっぱぐれてしまったりするのですね。自分たちの生活の必要にてらして労働量がきまるのでなく、競争相手との比較によってそれが決まっちゃうのです。なんぎなことです。
 あ〜あ、また月曜日がやってきましたな。労働者諸君、競争はやめようよ。たのむからあんまりがんばらないでくれ。わたしもせいいっぱい、なまけるからさあ。みなで団結してチンタラグータラしようじゃないか。なあ。