しねよ カス!

 このブログを はじめたころ、わたしは だいすきな ロックンロールの ことばかり かいていた。そういう趣味とか じぶんの美意識に かかわることというのは、ことばにしても なかなか ひとに つたわらないものだし、わたしも それで いいのだと おもってきた。いまになっても その かんがえは かわっていない。
 わたしは 政治的な はなしをするより、ロックとかブルースが すきで、ひとの演奏を きいたり、ギターを ひいたりすることが できれば、まあ しあわせよ、という にんげんである。あと、なんで この曲は こんなに すてきなんだろう、とか かんがえるのも すき。そういうわけで、むかし ある左翼の ともだちに、「きみは ほんと 耽美主義者だよねえ」と あきれがおで いわれたこともある。それも まったく接点のない べつべつの ふたりの左翼から、おなじように「耽美主義者」と いわれたのだった。
 それが どういうわけか、さいきん政治的なことばかり かくようになった。というか、政治的なことを かかずには いられなくなったのである。なんでだろー。
 とにかく、そのけっか、わたしの かいた 記事について、いろいろなひとから ひはんを もらうことが おおくなった。かっこつけたくて しょうがない にんげんなので、きついことを いわれても へっちゃらな フリはする。それでも、こころの なかでは、カチンと きたり、いいたいことが うまくつたわらないことに へこんだり することもある。
 ただ、そういう ひはんの ほとんどは、わたしにとって いっぽうでは 刺激にもなっていて、「じゃあ、つぎは どういう かたりかたを しようか」と まえむきに かんがえることが できる(もちろん、「いたいところを つかれたなあ」と 反省することだって あるよ)。すくなくとも、わたしは じぶんの かんがえが 簡単に うけいれられるようなものでないことは わかっているし、わたしの かきかたが まだまだ へたくそであることも わかってる。だから、わたしは いただいた ひはんは ありがたく ちょうだいしている つもりではある。すぐに いいかえすことは あまり しないのは、ゆっくり かんがえ、じっくり かいてゆきたいから。
 でも、こんかいは、どうしても だまっていられないコメントを もらったので、脊髄反射で いいかえす。


ナナメ135度の風。- 自由の奪い合い


 このアホが かいてる文章の さいごの段落以外は どうでもいいよ。わたしには なんの興味もない。こいつは さいごに こう かいている。

そうそう、これ書いてからちょっと上の人のブログを遡って読んでみたんですがまぁこれは… なんだろうこのキモいまでの日本社会への敵意。 在日なの? これだけ嫌いならとっとと出てけばいいのに。


 わたしが 在日だったら、なんか もんだいでも あんのか? なんで おまえじゃなくて おれが でていかなきゃならねーんだよ?
 わたしは こういう ひきょうものだけは ぜったいに ゆるせない。てめえが たまたま「にほんじん」として うまれたというだけで、ひとに「出てけ」なんて 要求する資格が あると おもいあがっている。はじを しれよ、ボケ。
 おまえの いう「日本社会」って なんだよ? 「在日は出てけ」とか ほざく、てめえみたいなレイシストどもが かたをよせあって おたがいを慰撫しあってる集団のことか? それが「日本社会」だというなら、おれは「敵意」を もつよ。おまえみたいな カスが 「在日」に敵意を もつなら、おれは「在日」と みなされることに ほこりを もつし、きさまのような やつに「にほんじん」とおもわれることこそ、このうえない はじだ。