「もう まけている」ということ

 かれが あんまりにも みっともなく ぶざまに みえて、わたしは はじめ わらいころげてしまったのでした。けれども、それは かなしむべき 光景なのかもしれません。
 たもがみさんという 軍人の かいた 論文が もんだいに なっているようです。

航空幕僚長:過去の戦争めぐる田母神氏の論文要旨 - 毎日jp(毎日新聞)


 リンクさきで よめるのは もとの 論文の ところどころを 抜粋(ばっすい)したもののようですけれど、これだけ よんでも なかなか あじわいぶかい さくひんだということが じゅうぶんに わかります。
 たとえば、つぎの ぶぶんを よんで わたしは かんがえこんでしまいます。「この ひとは なにを しんじたいのだろうか?」と。

 アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。


 たもがみさんの かいている 順序に したがって よむかぎりでは、この だんらくの 論理は こういうことです。

  • (A)アメリカ軍は 条約により 日本に 駐留している。したがって、アメリカは 侵略者では ない。
  • (B)おなじように、日本軍は 条約により 中国や 朝鮮に 駐留していた。したがって、日本は 侵略者では なかった。


 この 順序の とおりに りかいするかぎり、たもがみさんの 「いいたかったこと」は、(B)である、ということに なります。「ニッポンは わるくない」と。(A)は、この(B)を いいたいがために あとから 用意された 前提です。つまり、すなおに よむならば、(B)を いうことが たもがみさんの 目的であって、(A)は そのための 手段として もちだされたに すぎない、ということに なります。
 しかし、この りかいでは、わたしにとって どうも しっくり こない。もちろん、アイコクシンを すりこまれているはずの 軍人さんが、「ニッポン」という 想像物に じぶんを かさねあわせて、「ニッポンじんである じぶんに ほこりを もちたい」と かんがえたくなるだろうということは、わかります。けれども、そうやって 「ニッポンを ほこりに おもう」ために じぶんを かさねあわす 対象は、べつに 「大日本帝国」でなくても いいわけでしょう。むしろ、いっそのこと みじめにも やぶれさった 大日本帝国なんかからは じぶんを きりはなして しまったほうが、「ニッポンじんとしての じぶん」の ほこりを きずつけないために ラクチンな 方法です。「かつての ニッポンは わるかった。その 《わるい ニッポン》が ほろんだことは さいわいである。なぜなら、これにより あたらしい 《よい ニッポン》が うまれたのだから」と。
 しかし、たもがみさんも そうですし、いっぱんに ニッポンじんの 右翼の ひとたちは、大日本帝国の ほうに じぶんを かさね、その 「ただしさ」を むりやりにも いいつのろうと するようです。
 旧左翼や リベラルが そうしてきたように、「ふるい ニッポン」は きりすてて、「あたらしい ニッポン」の アイコクシャに なったほうが、いっそ ラクチンなのに。なぜ、たもがみさんは わざわざ くるしい みちのりを あゆもうと するのでしょうか?
 そこで、さきの かれの 発言を、「かかれた 順序と ぎゃくに よんでみるべきではないか?」と おもうのです。かれが 「いいたかったこと」は きっと (B)ではなく、(A)だ。(B)は (A)の 主張を ささえるための 条件として ひつようなのだ。そう かんがえてみては どうでしょう。

  • (B)日本軍は 条約により 中国や 朝鮮に 駐留していた。したがって、日本は 侵略者では なかった。
  • (A)おなじように、アメリカ軍は 条約により 日本に 駐留している。したがって、アメリカは 侵略者では ない。


 ニッポン軍人としての たもがみさんにとって、ぜがひでも めを そむけなければならないのは、ニッポンが アメリカ軍に 占領されているという じじつでは なかったのでしょうか。そこから、めを そむけるために、大日本帝国は 「ただしかった」という (B)の 前提が もちだされる。ぎゃくに、アメリカ軍の 駐留を 「侵略」でないと いいつのることが、大日本帝国が 「ただしかった」という (B)の 結論を みちびきだして くれる。このように、論理上、(A)と (B)は 相互補完的に はたらいているように おもえます。
 よく かんがえてみれば、いや、よく かんがえなくても、「条約に もとづいているから、侵略ではない」という りくつは へんです。日米安全保障条約に もとづいて、アメリカ軍は 「ニッポン」に 駐留していますけれど、ニッポン軍は アメリカへの 駐留を ゆるされて いません(おなじように、かつて ニッポン軍は 朝鮮や 中国に 駐留していましたけれども、朝鮮や 中国の 軍隊が ニッポンに 駐留していたという はなしは きいたことが ありません)。日米安保条約は、タカ派の ひとたちが しばしば みなしたがるような 「同盟」などでは ありません。ニッポンと アメリカの あいだの 「パートナーシップ」などという 対等で 友好的なものでも だんじて ありません。

 もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやってもいいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。


 ここでの たもがみさんの かたりかたも ひどく きみょうです。いうまでもなく、ニッポンは 侵略国家でしたし、「当時の 列強」も 侵略国家でした。「当時の」アメリカも、「当時の」イギリスも、「当時の」フランスも、「当時の」オランダも、「当時の」ドイツも、あからさまな 侵略国家でした。
 しかし、これは 「当時の……」というふうに 過去の できごととして かたるべきことでしょうか? げんに いまも すくなくとも アメリカは 侵略国家で ありつづけているわけでしょう。なぜ、たもがみさんは アメリカを 「侵略国家」と ちょくせつ なざすことを しないのでしょうか?
 ニッポン軍人である たもがみさんは アメリカ軍が いまも 侵略者として 「ニッポン」に 駐留していることを みを もって かんじているはずでは ないのでしょうか? アメリカの 将校たちは きみを 対等な 「パートナー」として あつかって くれただろうか? かれらが きみに はなしかけるとき、そこに みくだす 態度が みえかくれして いなかっただろうか?

 東京裁判はあの戦争の責任を総(すべ)て日本に押しつけようとしたものである。そしてそのマインドコントロールは戦後63年を経ても日本人を惑わせている。日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する。だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。


 ここにも たもがみさんの ニセ・ナショナリストぶりが あらわれています。やはり、かれは アメリカを 「侵略国家」と なざし、ひなんすることを さけて いるのです。「アメリカ」と くちに する かわりに、「日本人」に かけられた*1 「マインドコントロール」と 東京裁判の せいに するわけです。
 たしかに、アメリカさんは ヒロヒトを 免罪したのを はじめとして、ニッポンの 戦争責任を きびしく とうことを せず、ニッポンの かたを もちました。しかし、きみの 自衛隊を コントロールしているのは ほかならぬ その アメリカさんでしょう。主権国家の 軍人として ほこりを もちたいのであれば、「マインドコントロール」を かけられた ニッポンじんや 東京裁判に もんくを いうまえに、まず アメリカと 対決すべきはずです。
 さて、つぎの ところでは、たもがみさん、ちょっと ゆうきを ふりしぼって かいているようにも みえます。

 さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、ついに日米戦争に突入し300万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった。日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠(わな)であったことが判明している。実はアメリカもコミンテルンに動かされていた*2


 「アメリカによって慎重に仕掛けられた罠」と いって、ここでは アメリカ(もっとも、「いまの」ではなく 「当時の」アメリカですけれど)を なざししています。ところが、そういった すぐ あとで こしが ひけてしまっています。「実はアメリカもコミンテルンに動かされていた」。けっきょく わるいのは 共産主義者なんですねえ。共産主義 すげー。
 それにしても、いまの ニッポン軍は こっけいにも 「自衛隊」と よばれているわけですが、自衛隊とは なにから なにを まもろうとする 軍隊なのでしょうか?
 わたしは 自衛隊は はやく 武装解除すべきだと かんがえますが、そう いいますと、「ニッポンが 外国から 侵略されたら どうするの?」と いわれます。
 わたしの こたえは こうです。すなわち、「わたしたちは すでに 外国に 侵略されている。ひとつは ニッポン政府に よって*3。もうひとつは アメリカ軍に よって」と。
 自衛隊は きみょうな 軍隊で、いわば 「もう まけている」わけです。アメリカ軍が すでに 占領した 土地において 「ニッポンを まもる」という 任務を かされた 自衛隊の 存在とは、すでに どろぼうの はいりこんだ いえに 「かぎを かけましょう」と いっているような ものです。
 そして、わたしが たもがみさんの 文章を よんで さいしょ わらいころげてしまったのは、その こっけいさと ひくつさを かんじとったからでしょう。ニッポン軍人の たもがみさんは、アメリカの 圧倒的な 武力を まえにして、その 武力に じぶんが 圧倒されているという じじつから ひっしで めを そらそうとしているように みえました。その みっともなさが わたしの わらいを さそったのでしょう。
 しかし、かれの みっともさは、わたしの みっともなさでも あるかもしれません。わたしもまた 「もう まけている」というところから 出発するしか ないからです。わたしも ときに あいそわらいをし、へーこら へーこら たにんの ごきげんとりに いそしむのです。そして、はんたいに だれかを ふみつぶしていることが あるでしょう。





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★たぶん かんれんする ほん

日本/映像/米国―共感の共同体と帝国的国民主義

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希望と憲法 日本国憲法の発話主体と応答

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★まえに こんなのも かきました

ナショナリストの悲哀 - やねごんの日記
 ちんぽちんぽと 連呼する げひんな 文章で キョーシュクですが。
 なお、ここでは、読売新聞社説の かきてを 「ナショナリスト」と よんでいるのですが、いま かんがえると、これは あやまりでした。「ニセ・ナショナリスト」 あるいは 「だらくした ナショナリスト」と よぶべきでした。

*1:だれに よって?

*2:ここで、たもがみさんは 「犠牲者」を 「300万人」と しているわけですけれど、これは 内地ニッポンじんの 犠牲者数のみを かぞえたものでしょう。中国や 朝鮮や インドネシアや フィリピンなどの ころされた ひとたちは かぞえおとされているわけです。こんな かぞえかたを している いっぽうで、かれは おなじ 論文で 「大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった」などと かいているようですが、よくも まあ ぬけぬけと いうもんです。

*3:戦後の ニッポン国家も、本州や 北海道や 九州などを 植民地支配している 侵略国家である、というのが わたしの にんしきです。ニッポンは でていけ!