クソッ、クソッ、クソッ、パリッ、パリッ、パリッ──The Damned


 ロンドン・パンク三羽がらすといえば、The Clash, Sex Pistols, The Damned であるわけですが、アナーキーと言えば、The Damned が1番ではないかと思う。だから何だよ、と言われると困るわけですが。
 とりわけ、才気あふれるソングライターでありギタリストであるブライアン・ジェームス(この人についてはこの日記で以前触れたことがあった)在籍時のダムドのハチャメチャぶりが素敵。そういうわけで、彼らのファースト・アルバムをとりあげてみたいと思う。


 DAMNED DAMNED DAMNED というアルバムである。
 The damend と言えば「地獄に堕ちた人々」という意味ですが、damned には「くそいまいましい」というふうな意味があるらしいです、辞書によると。DAMNED DAMNED DAMNED は、「クソッ、クソッ、クソッ」ということですかね、翻訳するならば。
 いずれも後世にのこしたい美しい響きの言葉ですね。まあ、のこそうとしなくてものこるのだろうけど。美しい言葉は放っておいても受け継がれていくのである。受け継がれていく言葉が美しいのである。
 「たおやか」? 「はじらい」? 「はにかむ」? ファッ○ン!


 そうそう、アナーキーという話でした。
 「パンク=下手」というイメージがありますが、このダムドはきわめてタイトな演奏をするバンドなのである。デビュー時点でメンバー全員が20歳前後、金と暇に恵まれたボンボンというのにはほど遠い、ワーキング・クラスの少年たちであったのだが、驚くほど巧みな演奏技術をもっている。猛スピードの曲を乱れもせず、しかもあくまでも「俺たちは軽快に力を抜いて演ってるんだぜ」という感じの余裕をかました演奏をする。ボーカルにかぎっては巧いと言えないけれど、マッチョでも汗くさくもなく、また毒を吐くというのでもなく、あっさり軽やかキュートに歌う。


 そんな軽快で技術的に洗練されたバンドの音がなにゆえにアナーキーたりうるのか。それはドラマーのラット・スキャビーズによるところが大きい。とにかくムダにと言ってよいほど手数が多い。とくに、シンバルとバスドラを異常なほど叩きまくる。で、隙あらば派手なフィルインが入る。入れられそうなところには片っ端から入れまくる。
 バシャーン、バシャーン、バシャーン。どっどっどっどっどっど。タカタカタカタカ、シャーン。
 曲によっては、へたしたらハイハットよりもシンバルの打ち数の方が多いんじゃないかと思われる。聴く方もおかしくなりそうだが、叩いてる本人がうるさくないのか心配だ。バスドラも8分音符連打で鳴りっぱなしだったりする*1。私はドラムは全然できないのですが、バスドラ──足でペダル踏んで鳴らす大きい太鼓ね──はけっこう重いのですよ。足が吊らないんだろうか、と思うくらい、どどどどど、なのだ。それは何のため? 目的は? 
 フィルインの多用もわけが分からないことになっている。フィルインはいわば「間(ま)」を埋めるものであって、主か従かといったら従であるはずのものが、その関係がほとんど転倒している。ボーカルがわりと淡々としており、どの曲も音程の変化の小さい歌い方をしているぶん、歌を受けてドラムが応答しているというより、ドラムの派手なフィルインにボーカルが息を切らせて引きずられているという感がある。
 これはもう奇跡的にムチャクチャな演奏と言うしかない。そしてこのムチャクチャに演るということは、容易なことではないと思うのだ。私のような単なるヘタクソやバカがムチャクチャやろうと意図したところで、ムチャクチャな演奏にはなるものではない。底の浅い生半可なムチャクチャさは、無意識的に、常套句・紋切り型・ステレオタイプに足をとられるのがオチであって、ありふれた型を反復してしまうからだと思う。


 このアルバムで私の一番のお気に入りは Neat Neat Neat という曲。このタイトル、どう翻訳したらよいんでしょうね。neat は「パリッとしたワイシャツ」などというときの「パリッ」にあたる言葉なのかしらね。「パリッ、パリッ、パリッ」て感じ?
 曲構成はAメロ→サビのくり返しというシンプルなもの。
 Aメロは横に揺さぶる感じのベースが主体で、聴く者の肚のあたりをぐりぐり揺すっておいて、ここでは抑え気味のギターとドラムが、2小節ごとに1度の間隔でバーンと爆発する。ウラでバーンとくるのだ。肚を揺すられて背中が弛緩しかけたところに、バーン。これによって背中を垂直方向に電流がびゅうと走る。サビに移行する直前、ボーカルが音程を上げていくときの、ずんずん上昇していく趣も心地よい。
 サビでは、例によってドラムが炸裂。シンバル打ち鳴らしまくりの狂騒。
 そして祭りのあとには、比較的醒めたAメロに落ちていく。そしてまた次の狂騒に備える。


 ロッキング・オン言うところのいわゆる「アティチュード」もアナーキーだ。ザ・クラッシュセックス・ピストルズと比べてみると、それははっきりするように思う。
 クラッシュは、初期はワーキング・クラスのキッズたちとともに歩もうという態度を自覚的にとっていたのは明らかだし、中期から後期になると、その寄り添う対象は第三世界へと広がっていく。彼らは(というかジョー・ストラマーは、と言うべきかもしれない)倫理的たろうという意志を隠さない人たちであった。
 Anarchey in the UK を歌ったピストルズにしても、それは字義どおりとるならばキリストへのアンチとして歌われたわけだし、God Save the Queen は女王へのアンチとして受け取られるのであって、アナーキーという形容はふさわしくないように思う。"We are pretty vacant"と歌い、No Feeling において「自分にしか興味がない」と歌うことも、やはり反語的な意味を生じさせるのであって、そこには強烈な自己主張があり、本人の意図はどうだか知らないが歌が向けられる「対象」を聴き手は鮮明に意識しようとせざるをえないのだ。彼らが「何について」歌っているのか聴き手は無関心でいられないということだ。
 私は、クラッシュもピストルズも大好きで、よいわるいの「評価」をするつもりはないのだが、ダムドはちょっと変わっているよな、と思う。
 例外もあるが多くの歌詞は抽象的で「何について」歌っているのか見当もつかない。といっても「ナンセンス」というわけではなく、方向や意志というものを感じさせる。ただ、それが歌の外側の何に向かい、あるいは何を指しているのか、ということは徹底的にぼかされているように感じる。破壊的な意志はなにか伝わってくるのだが、その意志が何に向いているのかわからない。
 かといっていわゆる「内向的」というのとも少し違う感じ。いわゆる「内向的」な言葉が発せられるのには、他者との共感への渇望がそれを発する人にあると思うのだけれど、ブライアン・ジェームスの書く歌詞はそんなもん知ったことかという突き放したトーンがある。しかも、「自分」のことを歌っているような歌はあっても、その「自分」にこだわっている素振りをまったく見せない。歌詞だけの問題ではなく、スピード感のある激しい音楽にのっているからということもあるのだろうが。言葉は、それを咀嚼する間もなく、展開の早い曲に乗って次へ次へと向かうから。
 そんなことを歌詞を引用しながら書こうとしたのですが、歌詞カードを見てもよく解釈できないので歌詞にそくして書けず、「それじゃあオマエ、意味も分からず勝手なこと書きつらねているのか?」と言われるとまったくそのとおりでございまして、いいかげんな印象でものを語ってしまいました反省しますとしか言いようがない。ごめんなさい。


 ここら辺で歌詞が読めますです。

*1:New Rose という曲では、イントロを除いて最初から最後まで、ほとんど絶え間なく8分音符を刻んでる。この曲はガンズ・アンド・ローゼズがカバーしていて、かなり原曲に忠実に演奏しているのだが、ドラムはそんなムチャはしていない。それでも、じゅうぶん重厚な音になっているから、ダムドのあのバスドラ打ちまくりはなんなの? と思うのである。