大道芸人セッツァー
シケたツラこいて何か考え込むかのようなふりをしてる場合じゃありませんでした。思慮深そうな表情他人様にみせてる場合じゃありませんのです。みなが盛り上がっているところで、作り微笑、顔に貼りつけ、そのじつ頭ん中で考えていることと言えば、「俺はこの場の色に染まりきらんのだなあ」などという程度のことにすぎぬのでありましたよ。なんと貧しい「思慮」であることか。
染まれない俺。染まらない俺。たかだかそれだけのこと思念するのに、何ごとか考え込んでるかのような、深く慮るところあるかのような含み顔面に浮かべたりなんかして、気取っている場合じゃあ御座いませんのよ。
恥ずかしながら、私はかしこげに一歩退いてぼそぼそ批評めいたことを言いたいタチなんでありますよ。ひとり離れた場所からちょっと変わったことをね。
ところが、そんな私にとって天敵とも言うべきなのが、大道芸人というやつであります。大道芸を前にしたら、一歩退いてぼそぼそ言っている者の方こそ馬鹿にしか見えない。不可思議なジャグリング見せられ、燃えさかる松明を口に入れて消すの目にし、3メートルもあろうかという一輪車にまたがるの見上げながら、驚かないでいるのは難しい。驚かないふりするのも難しい。
吃驚仰天。口あんぐり。先日通りすがりに観た芸人氏に私は降参したのだった。英世さん1枚、おひねりに差し出すほかありませんのだった。
ところで、ここ数日、You Tube で Stray Cats のライブ映像をひたすら観ている(これがまた仰山あるんだわ。アップロードしてくれた方々に感謝です)。
で、思ったのが、彼らは大道芸人だなあということ。
●Stray Cats - Rock This Town - Live!
オッサンやっぱりさすがだなあ。なんて、既知のことをば確認するよな言葉ぼそっとつぶやくのは、ふさわしくないと思います。
ステージ・パフォーマンスはもちろんのこと、演奏も含めて「芸」なのだなあと感心します。「芸」というのは、客をびっくりさせてなんぼなんだと思います。
「芸術」としてありがたがったり、「作品」として鑑賞したりというのは、客の側からすれば「芸術」なり「作品」なりを対象化することであります。けれども、そんな対象化の隙を与えぬことが「芸」とりわけ「大道芸」ではないかと思います。
あからさまに巧い。斜めから見たり背後に隠れた意味を探ったりしなくても、すげえ。そう思います。
そして、「まあ、解りやすい音楽だよね」などとうそぶいて相対化したくなるところでは御座いますが、解るかってったら実のところよく解らない。何やってんだ? 何か知らんけど、すんげえなあ。意味はよく分からんが、屁のツッパリは要らんですよ。
Brian Setzer のギター聴いて、私は「木製オートバイ」というものを思い出します。木でオートバイを作れるのかどうか知りませんけれど、もし作ったらこんな音がするんじゃないかなあ。エンジンふかすブンブンいう音が、木のボディをきしませているような、威嚇的爆音ながら枯れた感じの音が素晴らしい。アイドリングの音もシブくて最高だし、疾走し出すともう車体が宙に浮いたりするんじゃないかと思う。バイク乗らんので、そのへんの感覚は知らないのですが。
YouTube にはこんなのもありました。
Brian Setzer 先生のロカビリー・ピッキング講座だそうです。うわお、こんなん弾けたらなあ。
今まで私、この人サムピック*1を使っているのかと思っていました。違いました。普通のピックでした。
指で弾くときは、ピックを人さし指にはさんで隠し、他の指を使う。ピックでジャカジャカやるときは、その隠していたピックをパッと出してくる。早技。器用なことするなあ。さっそく真似してみようと思うんだけど、うまくいかない。