赤とんぼ

 くぅ……。まいった。眠れぬ。
 なぜ眠れないかというと、頭のなかで山田耕筰作曲「赤とんぼ」が鳴り続けているからである。これは、正しい意味での「凄い」、すなわちおどろおどろしくも不気味な曲だと思う。
 床に入ったときに、試してみるとよい。眠りに落ちるまでの何をするでもない時間に、赤とんぼを脳内に再生してみよ。
 なんと、この曲には終りがない。終われないのである。
 ヨナヌキの音階*1の一見なんともないメロディながら、確かにそれはすぐれて印象的ではある。しかし、この曲を私たちに鮮烈に印象づける要因は、「ソドドレミソドラソ……」というメロディそのものの「美しさ」というよりも、それが曲冒頭へと強力に回帰する構造を持っていることにあるのではなかろうか。その構造を分析することは、私の手にはあまるけど。
 どんな考えあってのことか量り知れねども、作曲者は結果的に、この短い8小節から先へと「展開」することをしなかったわけである。素人考えでは、うまいメロディを思いついたら、そこからもっと広げようという欲が出そうにも思うのだけれど、とにかく山田はしなかった。
 たった8小節で頭に戻る。ふたたび8小節やってまた戻る。第8小節は必然的に第1小節に接続するようになっている。冒頭に回帰せざるをえないよう、メロディがそうなっていると言うほかない。何なんだこれは。
 それは、たんに曲の尻尾から頭へと戻る際の接続が「自然」だから、というだけではないような気がする。赤とんぼは、尻尾でちょん切ることをどうしても許さないような、そんな形をしているのではないだろうか。
 他のノスタルジックな唱歌、たとえば「名も知らぬ遠き島より〜」や「この道はいつか来た道〜」や「うさぎ追いしかの山〜」などは、終りの2小節くらいで減速してやれば、ちゃんと落ちる。ストン。
 ところが、どうも赤とんぼは減速ができない。「負われーて見たの〜は〜、いつの〜日〜かー」という間延びした後半4小節は、すでに間延びしているだけに、減速させる余地がないのである。無理やり減速しようとしても、やっぱりだめ。終らない。また、最初に回帰する。
 いい加減、終らせたいのである。ストンと落として、眠りたいのである。しかし、勝手に「夕焼ーけ小焼け〜の」とか「姐やは十五〜で」とか勝手に始まりやがる。これは呪いの歌か。たいがいにしていただきたい。山田先生、もう勘弁して。

*1:ドレミファソラシドから4度(ファ)と7度(シ)を抜いた音階。