Nirvana / Never Mind

 ひさしぶりにアルバム通して聴き直してみた。
 彼らの曲を熱心に聴いたことはなかったし、カート・コバーンの自殺にも「ふーん」としか思わなかった。見知らぬ他人とはいえ、人が死んだことに「ふーん」などと反応するのは、まあひどいし、そんなことをこうやってわざわざ書きつけるのも、なおさら間違ったことだとは思う。人として。田舎のジジババにあわせる顔がねえってもんである。長いこと瘴気にあたってたんで荒んでしまったのか、生来悪辣な性格なのか、いずれにしろ、ろくなもんでねえのでがす。人として最低である。
 やっぱり、こんな音楽がなんで持ちあげられるんだろうか、と思わないでもない。アルバム全編通して、ほとんど5度和音しか使っていない。ムリヤリの変態コード進行で、「あれ?」という感じはするけれど、それはムリヤリのムチャにすぎず、ただの奇を衒っただけだろ、3回聴いたらもう飽きるぜ。せっかくギターは弦6本あるのにね、平行移動ばっか、コード感の妙というのが決定的に欠けているのだ。
 と書いたのは半分嘘で、一見ムチャやっているようで、確かな「型」があるようでもある。"In Bloom"(2曲目)、"Breed"(4曲目)、"Stay Away"(10曲目)などは羽目を外したかのようなコード進行ながら、異常に安定している。単なるムチャクチャの勘違い野郎だったら、うるせえなあと耳をふさいでしまえばよい。しかし、異常ながらも完成された楽曲たりえているところがタチ悪りいのだ。
 私としては、ラモーンズはおおいにオッケーだけど、ニルヴァーナはダメだ。もっと嫌いなのは、ニルヴァーナ以降に合州国西海岸らへんにうじゃうじゃ出てきた有象無象パンクども。ニルヴァーナと同系列として語るべきではないのかもしれないが、似たにおいがする。あの屈託なきフォロワーぶりがまぶしい、じゃなくって、むかつく。
 ニルヴァーナには暴力的な感染力があるような気がする。たぶんこいつらに身を任せたら、何かが決定的に損なわれてしまうのではないだろうか、と思う。具体的に言うと、スリーコードのタメの効いた古き良きロックを楽しめなくなるのではないか、ということである。杞憂かもしらんが、「緑の日」とか「子孫」とかいう名前の野卑なバンド聴いてヘッドハンギングせずにはいられないような、そんな身体になりたくない。
 あと、カートのボーカルの無機的なところね。ギターのファズ・エフェクトと声質があまりにマッチしすぎている。というか、そういうふうに発声しているんだろうけど。エフェクトのスイッチを入れるように、声色をスイッチするのも機械みたい。1曲目の "Smells Like Teen Spirit" のサビでの2色の声の非連続的な切り替え。これもスイッチが入るようにデジタルで気持ち悪い。
 いや、わかってはいるのだ。歌唱というものは、例外なくメカニカルでテクニカルなのだ。そこに「人間的なぬくもり」だとか「自然な感性」だとかを見出すのは、倒錯した認識にすぎない。伝統的な感性なるものも、機械と技術に媒介されているのであって、慣れ親しんだものへの執着心がその対象を「自然」と錯覚し、和解しがたい新参者を「機械的」「無機的」と差別しているにすぎないのである。
 商品化された音楽しか知らぬ私にとって、音楽はつねに外からやってきている。その意味で私にとって音楽はすべて暴力的に入ってきたわけではある。「自然」なものなどひとつもなかったはずだ。そうやって新奇なるサウンドを求めて馬鹿みたいにCDを買いあさって自身を機械化していった時期と、ニルヴァーナを知った時期とは重なるのだけど、結局彼らとは和解できなかったのだなあと、今聴き直して思ったわけです。ちょっとかっこいい音だとは思うんだけど。




こちらは、Al Yankovic によるパロディ。
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●Weird Al Yankovic - Smells Like Nirvana
 YouTube の動画を紹介しているどこかのサイトが、「インディーズ時代の音源か?」と紹介していたのが可笑しかった。元のPVはこちら