ジェームス先生のソロ・アルバム

 マニック・ストリート・プリーチャーズ(現在活動休止中)のフロントマン、ジェームス・ディーン・ブラッドフィールドによるソロアルバム。こいつを、このところ毎日聴いている。
 マニックスというのは、実のところ、私にとってもっとも思い入れの深いロック・バンドである。とくに初期の作品は、それこそシングルのカップリング曲にいたるまで聴きこんできた。彼らを知ったのが、ちょうどギターを始めた時期と重なったこともあって、片っ端からコピーしては指先が割れるまで弾きまくったものである。まあ、腕のほうは、いまだ自慢できるほど上達していないわけだけれど。
 いまだに、ギターで弾いて楽しい曲の多くは、マニックスの曲だ。ギターも10年以上やってると、いわゆる完コピはめったにしないにせよ、何百という単位の曲を弾いてきたことになる。たいていの曲は飽きてしまって、そのうち弾かなくなる("Let It Be" とかね)。だから、いまギターを手にしたときに弾く曲というのは、最近覚えたてのものか、何年も飽かずにくり返し弾いている曲かのどちらかである。そうやって残ったレパートリーのたぶん半分くらいは、マニックスの曲たちなのだ。
 それほど、私はこのジェームスという人に、いわば惚れこんでいるのだけど、「彼の作る曲のどこがいいの?」と訊かれると困惑するしかない。説明する言葉が見当たらないのである。
 ただ、このソロ作品を聴いて、私が、マニックスのとくに初期の曲に惹かれてきた要素が何なのか、おぼろげながらつかみかけてきたような気がする。それを的確な言葉にするには、まだしばらく時間が要りそうだが、大雑把なイメージを語ることはできそうだ。
 考えるまでもなくはっきりしているのは、ジェームスの書く曲は、メロディが華麗だということ。そして、展開が劇的だということ。
 しかし、その反面、彼のメロディはどこか素人くさい側面がある。「どろくさい」というのとは違う。どろくささであれば、それは直接にそのまま「力強さ」や「荒々しさ」などと形容される魅力になるけれど、そうではなくて「ほころび」とも見えるようなもろさがジェームスの作るメロディには感じられるのだ。
 よく分からないのだけど、ある種の作曲の才能に恵まれた人は、木の中にあらかじめ埋まっている仏様を彫り出すように(漱石の『夢十夜』にそんな話があったよね。運慶が夢に出てくる話)、「必然」としてそうあるべきメロディを「探り当てる」かのごとく、造形してしまうように思える。
 でも、ジェームスさんは、そういう「天才」というより、むしろ「職人」と形容すべきに思う。鼻歌をこねくり回しながら、徐々に完成度を高めていったような痕跡を、彼の曲から感じることが多々ある。自然でなく、なにか作為的なのだ。収まるべき場所に収まるべきものが収まっているような安定感ではなく、ところどころに継ぎ目が露出しているような不恰好さがある。
 とはいえ、急いで言い添えておけば、彼は実に美しいメロディ・ラインを生み出す、稀有の才能を持った人であるのは確かだ。ところが、その美しさのなかに、スムーズに飲み下しがたい「ひっかかり」とも言うべき要素が混じっているのである。
 どうして、そんな曲たちに、私(たち?)はかくも魅了されるのか。
 メタファーとしてしか語れないのがもどかしいところだが、彼の曲には、「かっこうよさ」と対照される意味での「淫靡さ」があるからではないかと思う。あるべきものがあるべき場所に収まっているような音を聴いたとき、私たちは「かっこうよい」と感じる。そこには、「必然」と呼ぶべき秩序があり、「天啓」が降りたしか言いようのない完璧さがある。しかし、マニックスの曲には、そういった「かっこうよさ」には含まれえない、生々しさがある。思うに、ギリシャ彫刻の裸像が「美しく」はあっても、「劣情」をもよおさないのは、そこに「継ぎ目」がないからではないだろうか。マニックスの曲を聴くと、「継ぎ目」の生々しさにそそられるのである。
 この「かっこうよさ」と「淫靡さ」の対照は、また、こういうことでもある。すなわち、そこに魅了されている自分の姿を、他人に見られても平気かどうか、という違いが両者にはある。「かっこええ!」と感嘆しているさまは、おおっぴらに人前に見せることができる。しかし、マニックスを聴いて心を動かされている自分に自信をもつことは、すくなくとも私の場合、難しい。実際のところ、そんな自分はみっともないし、どこか恥ずかしいとすら感じる。
 さて、全然具体的に語ることができないでいるのだが、このたびのジェームス氏のソロ作品は、このところのバンドでのアルバムでは影をひそめていた不恰好さ無骨さが、あらわになっているようで、気に入っている。
 たとえば、3曲目の "Bad Boys And Painkillers" なども、ヴァースからコーラスへ移行するとき、またコーラスからヴァースへ戻るときの切断された感じが、エロい。それぞれに印象的なメロディなんだけど、その切れ方が唐突で中途半端な感じなので、さっき聴いたメロディの残像が頭のなかに居座ってしまい、妙な感じがする。「必然的」にヴァースからコーラスへ展開していっているという感覚ではなく、両者が不恰好に接続され、頭のなかでだらしなく撹拌されてしまう感じが、もう、ヤバイのである。


James Dean Bradfield - Official Site


 上のジェームス氏の公式サイトより、2曲ほどPVを視聴できる。
 このうち、"That's No Way To Tell A lie" は、目をつぶるか、PCのモニターを布などで覆うかして、決して映像は見ずに「試聴」することを強くお勧めする。ジェームス氏おんみずからご出演なさっているこの映像は、あんまりにひどい。
 たぶん、聴き込んでいくうちに、だんだんとよさが分かっていく曲だと思われるのだけど、私はPVを先に見てしまったばかりに、いまだ音の世界に没頭できずにいるのである。没頭しようとすると、あのツッコミどころ満載の妙ちくりんな映像が脳裡に浮かんで、思い出し笑いをしてしまう。ぶちこわしである。早く忘れたい。忘れたいけど、一度見たら細部まで脳に刻みつけられてしまう、おそろしく強烈な絵なのだ。